義志公式サイト

空手袴のすすめ

2018/06/15


「空手袴」とは、空手道着の下衣を普段着として再構築した義志の商品ラインの名称である。「空手」袴と呼んでいるが、柔道や合気道のように剣や弓などの武器を使わない徒手武道の道着の下衣は基本的に同じ構造である。ただ、空手がこれら武道の中でもっとも足を振り回す印象が強いことから、「柔道袴」でも「合気道袴」でもなく、「空手袴」と名付けるのが最も動きやすさを感じてもらえるのではないかと考えてこの名称にした。もちろん、自分が空手を学んできたことへの愛着もある。

空手着

空手袴 型第15


そもそも、義志という服屋はこの空手袴の製作から始まった。だからこそ、この商品群に対する思い入れはとりわけ強い。では、何故空手袴を普段着にしようと考えたのか。それは、この衣服が合理的かつ機能的であり、そして何より快適だからである。

まず、最初に言うべきことは、「上段まわし蹴りができるパンツが着る人の日常生活にストレスを与えるわけがない」ということだ。回し蹴りや四股立ちのように大きく股関節を開くような下肢の運動にも支障がないよう設計されたパンツであれば、日常生活でしゃがんだり胡坐をかいたり、何かを跨いだりといった動きにも当然支障はない。下半身の運動を妨げないという意味においてとても機能的である。同時に、腰と尻周りはゆったりとつくられていながら、腰ひもを締めることで自分に気持ちの良い塩梅でパンツを履くことができる。洋服のパンツのようにサイズを神経質に合わせる必要がなく、それでいてベルトを締める必要もない。これは実に合理的である。こんなに良くできたパンツを日常生活に応用しないのは何とももったいない話だ。


空手着

合気道着

とは言え、武道の道着を普段着として、またはファッションとして捉えることに抵抗感を持つ人も少なくないかもしれない。ともすると、これを野暮だと捉える者もあるだろう。しかし、洋服文化で育った私たち日本人が普段から着慣れている衣服の多くは運動着や作業着がルーツであることを考えると、武道のために開発された衣服が普段着として進化して日常生活の中に溶け込んでいくこともまったくおかしなことではない。


例えば、ジーンズはもともと炭鉱夫が履いていた作業着だし、Tシャツは軍服の肌着として誕生したアイテムである。今日様々なデザインに進化しているスニーカーはもともとボート競技用の靴として開発されたのが起源だと言われているし、ポロシャツなどはテニスウェアとして発売された後、ポロ競技の選手たちも着るようになり、いつしかポロシャツという呼称が定着したそうである。いずれも特定の用途を意図して開発されたものであるが、その着心地や機能性が日常生活においても価値があると受け入れられ、徐々に普段着として定着し、時代時代のファッションとしての変遷を経ながら、今日に至るまでどれもなくてはならないものとして愛され続けている。

そんなファッションアイテムが日本由来の服飾文化の中から登場しても良いのではないか、と私は学生時代からずっと考えていた。日本人は今まで西洋文明から様々な服飾文化のアイデアと技術をもらってきたわけだが、そろそろもらうばかりの立ち位置から脱却して、自分たちの持っている良いものを世界の人たちに紹介し、その価値を共有していくステージに入っても良いのではないだろうか。現在、義志が地下足袋を世界に向けて紹介しているのはそんな思いからなのだが、その思いを込めて企画、製作したいちばん最初の商品こそがこの空手袴だ。


義志初期の空手袴


義志の空手袴は、腰を一本の紐で締める仕組みや股のマチなど、道着の基本構造はそのままに、従来の道着にはない機能が3つ搭載されている。ひとつはポケット。もうひとつはフロントファスナー。そして三つめは義志独自の発想に基づく「腰帯」である。ポケットとフロントファスナーが普段の生活において便利なのは説明の必要もないが、腰帯だけは利便性のために付けているものではない。これは、特に丹田(へそ下3寸の身体の中心を司る部位)を締めることで身体の中心を日々意識するという目的で設置した。これにより着る人の「気」を高める効果があると私は考えている。


市村真田紐の腰帯


これは、身体の中心を締め、そこに気を集める役割であるが故、帯として使う紐は特別なものであればあるほど良い。そんな思いで、この腰帯には関東唯一の真田紐師、市村藤斎の手により織られた義志別注の真田紐を使用している。桐箱に入った茶器などが厳かに真田紐で締められていると、それだけでその中の物がとても価値あるものに感じられるように、自分自身を真田紐で締めることで自身の価値を高める意識をも引き出そうという思いを込めている。同時に、道着の下衣は帯がないと何となく見た目の締まりも悪いので、この真田紐の腰帯は全体のたたずまいを引き締めるための視覚的な役割をも担っている。


こうした独自の工夫を施し日常のための道着として進化したのが、義志の空手袴である。炭鉱夫でなくともジーンズを普段着として楽しむ今日があるように、このパンツは武道をたしなまない人にこそ日常のスタイリングの中に取り入れて、その着心地を体感して頂きたい。たとえ服装だけであっても生活に武道の知恵と合理性を取り入れることで、身体を緩めて心を締める武道の感覚と気分を実感していただけることと思う。

                 緒方義志