9月に入って朝晩幾分過ごし易くなりましたね。

季節の変化はやたら早くて山のほうでは紅葉が始まり、街にも冷たい風が吹き始めました。

秋といったら読書の秋。秋の夜長は読書には最適です。

それ以外にも芸術の秋、食欲の秋などまさに実りの季節ですね。

日本には四季があり、そしてその旬の食材や景色を味わうという贅沢。

日本文化の原点は四季にあると言いますが、本当にそうだなと思います。

短い秋の楽しみとして文化、歴史、美意識、四季を存分に食してみてはいかがでしょう?

実りのある秋を!

 

                           義志東京本店店長  樽見陽子

 

 

【新商品情報】

 

  

 「影」 18,900円

 

重厚な裏毛素材の後染めパーカー。

忍のように頭部のほとんどを覆い隠すフードと、親指を通す「眠り穴」が付いた長いリブの袖口により、

防寒性は抜群。装飾を一切取り払いハイカジュアルに昇華させているのは、義志ならでは。 

 

 

天鵞絨羽織」 18,900円

 

天鵞絨(ビロード)のように上品なベロア素材の上に強引にのせた「一本引き」プリントが、

おとなしくなりがちなベロアジャケットに、鋭い印象を与えている。

 ここだけの話、ベロアの上にこんなプリントを施すなどということは、

まともなデザイナーだったら決してやらないそう・・・

 

 

【迷彩WIRE06】

 

 

過去の義志通信でもお伝えしてきた義志の同士である、超人ダンスパフォーマンスチーム「迷彩」。

9月2日に横浜アリーナで開催された国内最大級のテクノイベント"WIRE06"で

見事なパフォーマンスを披露しました。

迷彩が登場した時の歓声ときたら、鳥肌立ちまくりドーパミン出まくりの、それはそれは熱狂的だったとの事。

残念な事にわたしは行く事が出来なかったので、コンピアルバムを即購入。

通勤時に聴いて体温を上げています。

 あの空間で音の幸福感に酔いしれたい思いは来年まで持ち越しです。

 

数ある夏フェスの中でもかなり注目を集めるイベントで同士が活躍している事は誇りでもあります。

成功をしている人が自分達の周りに多いという恵まれた環境はとても刺激的です。

 

WIREで迷彩が着用した衣装(写真の鎧ジャージ)は、もちろん義志のものです!

迷彩のリクエストを受けて作った、白地に赤の特注鎧ジャージ「炎」。

迷彩の為だけに散りばめられた装備は、職人さんを最後の最後まで泣かせたようです。

迷彩の非人間的なスタイルと義志独自の感性との融合によって作り上げられた作品とも呼べる一着です。

 

 

【義志 新公式ホームページ 完成!】

 

 

すでにお馴染みのデザインになっている義志の公式ホームページに、

安心感さえ覚えるお客様も多いのではないでしょうか。

そんな中、義志の世界観をより忠実に表現するべく、義志公式サイトが大々的に一新されました。

(といっても、まだ未完全な状態で、まだまだご迷惑をお掛けしております・・・)

音や効果音もついた、楽しいサイトとなっていますので、ぜひご覧になってみて下さい。

 

通販に関しましては、従来通りの画面にてご購入頂けます。

(メニュー画面の「購入」からお入り下さい)

 

 

 ( 義志スタッフの独り言・・・ )

店舗スタッフ 恵より

 

私は何年も変わらず、お気に入りの香水を身に付けています。

いずれ、この香水も廃盤になってしまうのではないかという不安感にかられながら

毎日、1日の始まりにシュッシュッとふりかけて家を出ます。

もう6年以上もこの香水を身にまとっているので、この香りは私の生活の一部になっています。

 

香りといえば、日本では平安時代に香りをたしなむ「薫物」(たきもの)の文化が生まれ、匂い袋を身に付けたり、

身体から香りを発散する為に内服もしていたそうです。(これは気合が入っている!)

それほど、日本での香りの歴史は長く、そして奥深いものだったとは、本当に驚きです。

 

そして、香りの歴史の中でも、日本が世界に誇る文化の1つとして香道(こうどう)があります。

香道とは、一定の作法のもとに香木をいて、立ち上る香りを鑑賞するものですが、

数種類の香りを聞き分けて遊ぶゲームのことを組香といいます。

(香りは「嗅ぐ」ではなく「聞く」というそうです。なんともちょっと気取ったおしゃれ〜な感じがしますね)

その中でも特に有名なのが源氏香遊びです。

これは、5種類の香りを聞き分ける、江戸時代に流行した遊びだそうですが、

この遊びの中で解答のために使用したのが52通りある源氏香図です。

 

ちなみに、この秋物として入荷したTシャツ型第12の「紅葉賀(もみじのが)」に施されたプリントは、

その源氏香図の中のひとつで、とても縁起の良い図柄とのこと。

代表はこの源氏香図のシンプルかつシャープな意匠が、義志のデザインに実によく映えると考えているようです。

 

香りの歴史はこれぐらいにして、最後に一言。

義志東京本店では、お客様に気持ち良くお買い物して頂ける様に、香りの演出もしているんです。

物があるだけでは殺風景、やはり五感で「義志」を感じて頂くためものです。

既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが・・・

お店にお立ち寄りの際には是非、店内の香りも楽しんでみてくださいね。

 

 

【義志東京本店情報】

 

 引き続き店長の樽見です。

こまめにお店に足を運んで下さる方やブログをご覧頂いている方はもうご存知かと

思いますが、お陰さまで入院生活から無事復帰する事が出来ました。

皆様からの温かい励ましのお言葉には深く感謝申し上げます。

 

さて冒頭では秋といったら・・・から始まりました。

そこで忘れてならないのがお洒落の秋。

この時期はとどまることの無い物欲・・・。

9月も半ばになると物欲心は更に燃え上がり自制心との戦いです。

この世の女性ならばきっと共感してくれるはずでは?!

きっと四季の中で短い秋だからこそ一層お洒落も楽しいのでしょうね。

まったく時としてこの場所表参道も厄介なものです。

 

「何を買うか決めて行く」が理想的な買い物。

しかし多くの人は目移りして欲しいものがたくさん出て来ますよね。

そのとき着ている服によって、試着したときの見栄えも変わってくるので、着て行く洋服に注意すると良いそうです。

買い物にうってつけの服は「白シャツ」。白はどんな色とも合うのでどんな上着を合わせても、

どんなパンツを合わせても、しっくりまとまるんですね。

白シャツでいけばそうでないときに比べて、似合う服の数が5倍にも増えショッピングがより楽しくなりますね。

義志ではTシャツにデニムが中心の私もプライベートでは義志以外も積極的に好んで着てみたり。

皆様も他のブランドと義志を上手に着こなして用途に合った旬なお洒落を

楽しみ、是非とも参考にさせて頂きたいものです。

                                 

秋も本格的に始まり表参道のお散歩がてらに義志にお立ち寄り下さい。

皆様を皆様のご来店、心よりお待ち申し上げております。

 

こっそり不定期に更新している店長のブログ
 
http://blog.livedoor.jp/yoshiyuki_tokyo/

 

 

【進化せよ、日本】 

〜代表・緒方義志の言いたい放題 3〜

 

 

「最強の履物」

 

日本の服飾文化において、革命的な進化を遂げた物のひとつに足袋が挙げられます。

19世紀、チャールズ・グッドイヤーやジョン・ボイド・ダンロップらの功績によりゴム産業が急速に発展し、

ゴムの大量生産が可能になると、明治時代後半にはわが国のゴムの輸入量も数段と拡大しました。

こうして量産されたゴムの普及により、大正時代に入ると座敷足袋の底にゴムを貼った

今日の地下足袋の原型が発明されます。わが国最強の履物の誕生です。

「志まや足袋」と「つちや足袋」という足袋屋が、それらをいち早く製品化し拡販したことにより、

地下足袋は急速に一般に普及したと言われています。

人工ゴムという文明の進化がもたらした技術革新が、日本の服飾文化を進化させた実に良い例です。

 

この「志まや」という仕立物屋は、大正に入り個人商店組織を改め「日本足袋株式会社」を設立し、

その会社のタイヤ部が独立してブリヂストン株式会社となりました。日本が世界に誇るタイヤメーカーの、

あの会社です。本体はというと、その後「アサヒ靴」というブランドで業界トップメーカーの地位を確立し、

1998年には倒産の憂き目に遭うも、現在ではアサヒコーポレーションと社名を変更し、

数多くのブランドを擁する靴メーカーとして成長を続けています。しかしながら、

地下足袋の先駆者であったこのアサヒコーポレーションは、もはや地下足袋は製造していないようです。

消費者の需要が完全に靴に移行してしまったからでしょう。

 

一方、「つちや足袋」はというと、創業以来やはり履物一筋で営業を続け、

1972年に月星化成株式会社と商号を変更します。「月星」と聞けば、

ピンと来る方も多いのではないかと思いますが、私達が学校で履いていた上履きや、

超軽量シューズ「ジャガーΣ(シグマ)」で有名なあの会社です。私などは、小学校低学年の頃、

シグマにはすこぶる憧れた記憶が今でも残っていて、近所のニチイ(今のサティですね)で「買ってくれ」と

よく母親にねだっていました。結局、買ってはもらえず、Σもどきの靴を買い与えられて、

なんとなく腑に落ちない思いをしていた覚えがあります。

 

余談ですが、月星化成は、つい2ヶ月程前に、株式会社ムーンスターと商号を変更したそうです。

社名変更の理由は、「グローバルな事業展開に対応」し、「新生ムーンスターとして生まれ変わる」ため

だそうです。年商380億円にも上る大企業なだけに、この社名変更についてはいろいろな事情が

あったのでしょうが、英語至上主義に異議を唱える私としては、グローバルな事業展開のために

「月星」を英語に置き換えただけの社名変更にはただ苦笑するしかありません。

 

さて、話を元に戻しますと、月星、もとい、ムーンスターでは今日でも「建設業界向け」履物として

若干の地下足袋を生産しているようです。しかしながら、この商品群にはもはやブランドが付いていないようで、

NEW雲龍」とか「マジックフィッター」といった商品名だけが冠されているそうです。

地下足袋の先駆者的企業が発信する商品展開としては、なんだかもったいないような気がするのは

私だけでしょうか。

 

これらの先駆者的企業達は早々に地下足袋に見切りをつけて靴の市場で勝負をし、

その戦略が奏功して現在の地位を築いています。このこと考えると、地下足袋は時代の変遷と共に

靴に取って代わられ、いずれ消え行く運命にあった商品なのだろうかと、

ちょっぴり寂しい気分になってしまいますが、ところがどっこい、地下足袋の存在価値は

そう簡単に捨て去られてしまうようなものではありませんでした。

 

地下足袋の装着感は靴とはまるで違います。簡単に表現すると靴下と靴の中間くらいの履き心地です。

靴よりも足に馴染み、地面の凹凸をより感知しやすく、足の指が元来備えている歩くための繊細な機能を

より活かすことが可能です。地下足袋は靴よりも裸足で歩いている感覚に近いのです。

ただし、底にはちゃんとゴムが貼ってあるため、安全性や機動力においては裸足よりも高いと言えます。

だからこそ、高度なバランス感覚や軽い身のこなしが要求される鳶や大工などの職人達からは、

安全かつ動きやすい履物として高い支持を得ているのでしょう。さらには、見た目にもかっこいいということが、

地下足袋が生き残っている大きな理由のひとつだとも考えます。鳶や大工なのどの職人の中には、

見た目のかっこよさにも気を使う人が多く、スーツを着て会社に行くサラリーマンよりも職人さんの方が、

実はお洒落に気を使っている人が多いのではないかと思うくらいです。

そんな洒落者達から今も愛されているのが地下足袋なのです。

 

では、地下足袋は世界において普遍的なファッションアイテムになりえるか。

私は、義志という服屋を始めて以来、ずっとそのことを考えてきました。

なぜなら、日本で生まれた履物の中で、機動力において靴に勝るのは地下足袋だけだと考えるからです。

私は下駄も雪駄ももちろん好きです。ただ、東京という時間の流れの早い大都市の中で、

下駄や雪駄では機能的に不十分な要素があることは否めません。

下駄を履いている自分が大好きな私としてはあまり認めたくはないことなのですが、

確かに下駄は機動力において靴に劣ります。雪駄などはなおさらです。

特に、地下鉄の駅などで急いでいる場面で下駄を履いている時に、

ふと、「ああ、今日はアディダスを履いてくればよかった」などと心の中で思ってしまいます。

「和服再興」を使命として掲げているブランドの代表としては、本当に悔しい瞬間です。

そんな時いつも私は、「日本の地下足袋がファッションアイテムとして私達の選択肢の中にあったら、

普段着のお洒落は格段に楽しくなるはずだ」と思うのです。

 

実際には、この地下足袋という日本独特の履物は、ファッション業界では何度も注目され、

その要素が一流デザイナーたちのコレクションアイテムに取り入れられたことは幾度かありました。

近年では、マルタン・マルジェラが地下足袋風のスニーカーをデザインしたり、

ナイキやプーマなどのスポーツブランドもデザインアイテムとして足袋型のスニーカーを発売しています。

しかし、それが普遍的なスタイルとして市場に根付いたかと言えば、そうはなりませんでした。

何故なら、それらはあくまでも、デザインに変化をつけるための遊びであり、

瞬間的な気分で商品化されたものだったからだと私は思います。

彼らにとっては、それで十分であり、それで良かったのです。

 

しかし、そうではなくて、地下足袋という履物がどこまで普遍的なファッションアイテムになりえるのかを

本気で追求しようとするならば、これをやれるのは日本人以外には考えられません。

地下足袋を進化させファッションに昇華させる作業はなんとも楽しく刺激的な仕事ですが、

文化に対する愛着と使命感を持ってやらないとできないことだと思うからです。

「別に地下足袋がファッションの中に存在していなくたって何ら不自由はないし、必要性も感じない」

という人たちの方がむしろ圧倒的に多いような気さえしますが、そんな状況の中で

地下足袋がファッションとしての市民権を獲得するためにはそれなりの根気と啓蒙活動が必要でしょう。

近年、普段着用の履物としては、活動性とファッション性を重視したスポーツシューズが大きな割合を

占めるようになっていますが、そうなってくると、結局はアメリカ・ヨーロッパブランドの独壇場と言っても

過言ではありません。世界に冠たるファッション大国日本の一ブランドとしては、これは大変悔しいことですし、

一消費者の視点から見てもこの現象は面白くありません。日本のブランド、日本のデザインを買いたくても、

選択肢が実に限られてしまっているのですから。特に、外国から日本のファッションを求めてやって来た人々に

とっても、これはひとつの大きな肩透かしなのではないでしょうか。

 

地下足袋は、その機能性とデザイン性において、世界に誇れる履物の定番たりえると私は確信しています。

だから、私は長年に渡り「普段着としての地下足袋」について考えを巡らし構想を練ってきました。

モードとストリートとスポーツの要素を世界都市・東京の感覚で消化し、

日本人の美的感性に本能を委ねカタチにする、その義志のいつもの手法を用いて

地下足袋をデザインするとどうなるか。

考えただけでもわくわくするような企画です。

 

実は、今、義志はそれをやっています。

私ひとりでは到底できることではないため、これについては多くのプロフェッショナルの方々の

協力をいただきながらじっくりと企画を進行中です。

うまく行けば、年明け早々には発表できるかと思います。

 

最強の履物、地下足袋。

こんなに履き心地の良い履物がなぜ普段着の一部として昇華されなかったのかが本当に不思議です。

現在の地下足袋を見ていると、まだまだ進化する可能性を十分秘めていると感じます。

さて、「義志足袋」の第一弾は果たしてどんな地下足袋になるのか、楽しみに待っていてください。

 

 

 

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