様
天高し。
という秋の季語があるように秋の空は本当に高く澄み切っています。
同じ青空でも季節によって、こんなにも違うものなのですね。
高い空に鰯雲が浮かんで、まさに秋たけなわです。
みなさまはどんな秋を堪能しているのでしょう?
平成18年10月25日 義志東京本店
店長 樽見陽子
【義志情報通】
〜JOGARBOLAとの合作が遂に完成〜
Tシャツ型第36「一番」
Tシャツ型第37「十番」
南米の気分を詰め込んだ東京発のサッカーブランド「JOGARBOLA」。
JOGARBOLAとは、ポルトガル語で「玉遊び」の意味を持つそう。
ピッチの中だけでなく、街のどこででもフットボールを楽しんでしまう
ストリートフットボーラーやフリースタイラーから絶大なる支持を得て、
数あるサッカーブランドの中でも独自の地位を築いています。
そんな真のサッカー通から愛されるブランド、JOGARBOLAに
これまたサッカー好きな我らのデザイナー、義志がデザインを提供し、
日本発のストリート蹴球シャツが完成しました。
球舞の皆さんもそうなのですが、本当のフリースタイラーって
ベタなサッカーウェアはあまり好んで着ないんですよね。
今回のコラボTシャツは、ストリートサッカーを意識してデザインされていて、あまりスポーツしすぎていないところがミソ。
背中には漢数字で背番号を乗せ、守護神の「一」と点取り屋の「十」の2種類を作りました。
そして今回は、なんと、小萩もちゃんとコラボしています(「十番」のみ)。
「雷神」
色: うぐいす、黒
価格: 29,400円
重厚なナイロンツイル素材を使用したジップアップブルゾン。
素材を3枚に重ね合わせて補強縫製を施した立ち襟は、シルエットの男らしさを引き立てます。
渋さがウリの一品です。
〜先行予約受付開始〜
価格: 71,400円
昨年、瞬間で幻となったダウンジャケットが更なる進化を遂げて再び登場。
ウエストの絞り、狭いアームホール、細く直線的な袖、ゴムで絞らない袖口など、
ダウンジャケットの基本形をことごとく無視し、鋭いシルエットを徹底追及。
こんなダウンジャケット、他では見たことありません。
【義志のイチオシ】
今月より始まることになった「義志のイチオシ」。
ここでは、これからの日本を背負って立つ表現者達を
義志が自信を持ってご紹介致します。
第一回は、音楽界より津軽三味線奏者の「上妻宏光さん」。
33歳という若さにして、すでに大御所の域に入っている上妻さんですが、
これまで成し遂げられることのなかった、ロックやジャズ・フュージョンなどの他ジャンルとのセッションに数多く参加するなど、
常に新しいことに挑戦し続けているのが、彼の凄いところ。
そんな上妻さん故、伝統を重んじる和楽器の世界では異端児と呼ばれることも少なくないようですが、
彼が持つ類稀なる音楽的感性と作曲能力、演奏の技術のみならず高い歌唱力は、
確かに彼を決まった枠組みの中に留めておくことを許さないはずです。
代表の緒方義志はかねてより上妻さんの津軽三味線とその音楽性がたまらなく好きで、
いつか義志の服を着てもらいたいと密かに思っていた中、
あるきっかけで義志を紹介する機会があり、
それ以降、上妻さんは義志を愛用してくれているのです。
活動している舞台は違うものの、「日本的表現の可能性を追求する」という想いを持った者同士、
共感する部分が多いのかもしれません。
8月には最新アルバム「○−エン−」が発売されたばかりです。
津軽三味線を駆使して作り上げられたこの上妻宏光さんの新しい世界を、ぜひ体験してみてください。
※10月26日より全国ツアー公演も始まります!
【進化せよ、日本】
〜代表・緒方義志の言いたい放題 4〜
「不思議な迎賓館」
今回は、ファッションとは関係のないことについて書きたいと思います。
わが国の迎賓館と呼ばれる施設についてです。
大学生の時分に生まれて初めてこの施設を目にして以来、
私は何故かこの迎賓館の存在を情緒的に受け入れることができません。
迎賓館の存在そのものについては、とても重要な意義があると考えますが、その存在のありかたを考えたときに、
これこそが日本の欧米至上主義をこの上なく分かりやすく体現している象徴的施設ではないかと私は考えてしまうのです。
この建物は、もとはと言えば、大正天皇が皇太子の時、
御成婚後の新居(東宮御所)として明治42年に建造され、赤坂離宮と呼ばれていました。
昭和37年に、我が国の国際的地位の向上と外国要人の接遇の必要から、
当時の池田勇人総理大臣の発意により同宮殿を迎賓施設に改修することが閣議決定され、
昭和49年に迎賓館として生まれ変わりました。
フランスのベルサイユ宮殿を模したとされるこの絢爛豪華な宮殿は、
当時における最高の技術力を注ぎ込んで造られた日本における唯一本格的なネオバロック様式の洋風建築で、
天井から壁、床、絨毯、家具、シャンデリアと、どれもこれも徹底的に欧州の貴族趣味を追求し、
家具調度品約1800点のうち600点はフランスに特注、シャンデリアも全てフランス製だそうです。
私は写真でしか迎賓館の中を見たことがありませんが、
確かに、装飾の限りを尽くしたそれぞれの空間は、大変格式が高く贅沢な造りで息を飲むほどです。
しかし、ここで考えたいのですが、そもそも迎賓館とは何の為に存在する施設なのでしょうか。
同施設を管理する内閣府の説明によると、迎賓館は、「外国の元首や首相などの賓客に対して、
宿泊その他の接遇を行うために設けられた国の施設であり、これらの接遇を通じて、
その国との間の相互理解や友好促進に大きな役割を果たすための施設」と位置づけられています。
要するに、迎賓館とは、国家が日本国として最高かつ最良と考えるもてなしをその国賓に提供するための施設のことです。
だからこそ、迎賓館とは外国の要人に日本文化の真髄を体感してもらうための最高の施設でなければならず、
彼らの同施設での体験を日本国と日本文化の国際的地位の向上に
少しでもつなげていく意識と努力が必要であるとも考えます。
それを踏まえた時に、この迎賓館のありようは、いかにも感性がずれているとしか言いようがありません。
日本国としての最高のもてなしが、ネオバロック様式であり、亜流のベルサイユ宮殿であり、フランス製のシャンデリアなのですから。
これは、日本の様式では最高級のもてなしができないと国家が世界に喧伝しているも同然です。
まさにこれぞ代々受け継がれた鹿鳴館精神とでも言いましょうか、
ヨーロッパの様式美にしか洗練というものを見出すことができない明治維新後の日本人の意識と価値観が痛いくらいに伝わってきます。
私は、学生時代、この迎賓館の目と鼻の先にある上智大学に通っていたこともあり、
この建物を日々の生活の中で目にすることが多く、それを見るにつけ何か息が苦しくなるような違和感を覚えたのを今でも思い出します。
脂汗がにじみ出てくる感覚というか、それは、自分が致命的な失態を犯してしまったときに感じる息苦しさに似た感覚だったような気がします。
当時、私が在籍していた比較学部には海外からの留学生がたくさんいて、友達にも様々な国の人たちがいました。
私にとってこの迎賓館は、そんな仲間達にはできるだけ見られたくない恥ずかしい物であったような気がします。
歴史と文化の奥深さを表面上ではさんざん主張している日本人がこしらえた「迎賓館」が、これなのです。
そんな自分の恥部が学校の近くに堂々と誇らしくそびえ立っているのを、
私はいつしか本当に疎ましく感じるようになっていました。
あの時に私が感じていた違和感を、私以外の人たちがどれだけ感じるかは分かりません。
私が「日本のあるべき姿」ということについて必要以上に考えすぎていたために、そんな思いを抱いたのでしょうか。
いや、やはり今考えても、あの時感じた違和感というのは、何か本能的に起こった精神作用だったような気がします。
精神的な作用にも心地良いものとそうでないものとがありますが、これに関して言えば、間違いなく不快な部類に入るものです。
自尊心という精神の脊椎に異物が触れているような、そんな不快感です。
この不快感を感じる度合いは人によって違うとは思いますが、多かれ少なかれ、
この迎賓館を目の前にした時に、日本人であれば何かしら不思議な感覚を覚えるはずです。
もし皆さんに機会があったら、あの宮殿を背景にして一度記念写真を撮ってみてください。
後で見てみると、どこの国で撮った写真なのかまったく分かりません。
少なくとも、赤坂の迎賓館を知らない人がその写真を見て、
ここは日本だと答える確率は限りなく零に近いのではないでしょうか。
そこまで国柄や文化的個性を徹底的に放棄した建造物が、国の迎賓館として位置づけられ、
それが実際に数十年の間使用され続けていることに、私たちは恥ずかしさを感じるべきではないでしょうか。
この赤坂離宮の建築物としての歴史的価値については、疑いの余地がありません。
しかし、これを国の迎賓館として位置づけた瞬間に、この美しい洋風宮殿は極めて不思議かつ空虚な空間に成り下がります。
私は、この赤坂離宮が一日も早く「迎賓館」の看板を下ろして、国賓接遇のお役目から卒業してくれることを願ってやみません。
意外と知らない人も多いようなのですが、昨年(平成17年)4月に京都迎賓館が開館しました。
今度の迎賓館はネオバロック様式などではなく、日本の伝統的な住居である入母屋屋根と数奇屋造りの外観を活かした品格のある和風の佇まい。
ようやく我が国にも日本の歴史、文化を象徴する迎賓館ができたと喜びたいところですが、
結局のところは、「ベルサイユ宮殿」を卒業する気は日本にはまだないようです。
それは、この施設を2つ目の迎賓館として、東京ではなく京都に置いたことが如実に物語っています。
外国の要人が最も多く集まるのは、言うまでもなく、首都東京です。
だからこそ、この「正しい迎賓館」は京都にではなく東京に造るべきであり、それに伴い赤坂離宮はお役御免となるべきだったと私は思うのです。
もともと京都にも迎賓館としての役割を果たす大宮御所があったわけで、彼の地に新しい迎賓館をわざわざ造る必要性は低かったと言えます。
それよりも、首都東京にしかるべき迎賓施設を建造することの方が外交上の文化的意義は高く、
総工費200億円と年間維持費18億円という決して安くない投資も、「ベルサイユ宮殿卒業」という対価を考えれば、
それはお金に代えることのできない精神的投資価値があったと言ってもよいのではないかと考えるのです。
しかし、それでも京都迎賓館の出現は、いいようにとれば、
日本が徐々に鹿鳴館精神から脱却しようとする国家のかすかな意識の発露であるとも感じ取ることができます。
歴史家の中には、「歴史は60年周期で動く」という見方がありますが、思えば昨年がちょうど大東亜戦争の終戦から60年という年でした。
そして今年になって初の戦後生まれの総理大臣が誕生したこととも相まって、日本も新たな国づくりの局面に突入しているはずなのです。
そろそろ日本も黒船来航と敗戦のトラウマから自力で這い出す局面に来ているということです。
このペリーとマッカーサーに象徴される、近代史における2つの大きな屈辱を実体験していない世代が、
これからの魅力ある日本を作る鍵を握っているということは言うまでもありません。
安倍内閣は所信表明で「美しい国、日本」という合言葉を掲げました。
政策的なことについては人それぞれ意見があるかとは思いますが、この総論的目標に対して異を唱える日本人はいないはずです。
安倍総理大臣は、美しい国の説明として次の4つのことを挙げています。
「文化、伝統、自然、歴史を大切にする国」、「自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国」、
「未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国」、「世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国」。
私は、これらのいかなる要素を満たす為にも、その大前提として、国と国民が健全な誇りと自尊心を持つということが何よりも大切だと考えます。
本当に美しい国とは、その文化に誇りを持って自分流をしっかりと持っている国のことです。
人間だって同じです。他人に憧れて、その人の真似をして悦に入っている人よりも、
自分をしっかりと持ってその個性に常に磨きをかけている人の方が、きっと魅力的なはずです。
日本が真に誇りある美しい国であると私たち自身が心の底から思えるようになるためには、
この迎賓館のように、まだまだその存在価値を疑ってかからなければならないものがたくさんあります。
もし、私たちの生活の中に、過去の歴史の遺産として自分たちの自尊心をなんとなく心地悪くしている棘があるならば、
それを当たり前だと無思考に受け入れるのではなく、それに対し慎重かつ大胆に手を打っていくのが
そして私たちの次の世代に対して、より心地良い誇りと自尊心を持たせることができるような国家と社会を、
私たちが創っていくんだという意識を持つべきだと考えます。
元赤坂の迎賓館のことを思うと、「美しく誇り高き日本」ということについて、脂汗をかきながら深く考えさせられてしまうのです。
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