【進化せよ、日本】 

〜代表・緒方義志の言いたい放題15〜

 

 

「ジャパンは本当にクールか」

 

つい先日、アメリカの雑誌「TIME」アジア版の取材を受けました。取材の趣旨は

次のようなものです。「世界では、ここ数年、ジャパン・ブームが続いており、

日本はその洗練された文化や高い技術、流行を見極めさらに新しいものを

産み出していく鋭い感性といった面から、いわゆる『COOL』な存在として、

いろいろな分野で世界から注目を浴びている。そんな日本が世界に誇ることのできる、

海外でも幅広く活躍している人たちを、建築、ファッション、デザイン、映画、

テクノロジー等、あらゆる分野から選び出し、TIMEの読者に紹介する。」

 

この企画の中で、私はファッション部門の一人として選んで頂いたようで、

大変光栄な思いでバンコク支局長であり記者でもあるアメリカ人の女性と

会話を楽しんできました。外国の人たちが日本の文化や流行に興味を

持ってくれるというのは理屈抜きに大変嬉しいことで、しかも、興味を抱くだけではなく、

それがかっこいいものとして見られているということは、日本人ならば誰もが気分の

良いことなのではないでしょうか。そんな世界で起こっている日本ブームを外国の

雑誌が特集するということは、私達日本人にとっては何だかとても励みになることです。

 

当然、このような日本ブームが今世界中で盛り上がってきているという情報は、

日本のメディアや産業界も大なり小なり把握していて、その現象を半信半疑で

解釈したり、はたまた過大評価したりと、その捉え方はまちまちです。しかし、

総じて日本人は、このような評価を世界(とりわけ欧米諸国)の人たちが持っている

という事実が、この上なく嬉しくてたまりません。そのため、わが国のテレビや新聞、

雑誌などは、こぞって日本ブームについての特集を組み、日本のオタク文化がパリや

モスクワで大流行しているとか、ロンドンではカタカナの刺青をしている若者が

増えているとか、ニューヨークではセレブが好んで日本酒を飲んでいるとか、とにかく

「日本発」のものがこんなに世界で認められているんだということをこぞって喧伝し、喜び合います。

 

しかし、私は、この行動の根底にある心理を考えるにつけ、真の「クールジャパン」は

まだまだ程遠いと感じてしまいます。インタビューの中でも、「あなたは日本のどういうところが

クールだと思うか」と聞かれて、私はつい「日本はかつてのような本当の『クール』にはまだ

到達できていない」と答えてしまいました。それはどういうことかというと、日本は「内なる

自信に支えられた確固たる価値の提案ができる状態」になる前の段階、すなわち、

「他人からの評価を積み上げて内なる自信を醸成する段階」でしかないということです。

 

それは、先に挙げた日本ブームのいくつかの例からも読み取れます。「秋葉原のオタク達が

やっていることはキモチ悪いと思っていたけど、パリの若者達があれを『クール』だと言っている。

だから、今やオタク文化は日本が世界に誇るサブカルチャーだ。」「今までは日本語は

ダサいと思っていたけど、ロンドンのヒップな連中はみんな漢字やカタカナを身体に

彫り込んでいる。日本語って実はお洒落だったんだ。」「日本酒はオヤジくさくて田舎くさいと

思っていたけど、ニューヨーカー達は高い金を払ってSAKEを飲んでいるそうだ。

やっぱり、日本酒って世界でも通用する美味しい飲み物だったんだ。」

 

こういう思考回路が果たして本当に「クール」なのでしょうか。自分はさほどに良いと思って

いなかった物を他人に評価されて、初めて自分も良いと思うような価値判断。

一般的に、こういう考え方をする人は、主体性のない人だと思われることはあっても、

なかなか尊敬されるものではありません。「クール」な物を発信している人たちの内面を

覗いてみると、その精神は実はあまり自信に満ち溢れているというわけではないのです。

むしろ、外国から「クール」だと言われたことを、あたかも先生や先輩から太鼓判を

押されて喜んでいる子供のごとく、無邪気で可愛いレベルのものなのです。「クール」な

国の人たちにしては、なかなか野暮なことをやっていると我ながら思います。

 

この日本ブームを喜んで報じるメディアの心理、それを見聞きして喜ぶ私達消費者の

心理、すべての根底にはいまだに拭えぬ漠然とした文明国、先進国としての「劣等感」と、

それから解放されたいという強い思いが顕著に表れているような気がします。

人間にとっても国家にとっても、劣等感というものは無いに越したことはありません

(同様に、その対極にある優越感という感情も無用のものですが)。しかし、

自尊心は自立した個人にとっても国家にとっても無くてはならないものです。

その自尊心という精神の脊髄を衰弱させていく腫瘍のようなものを劣等感だとすれば、

外国からの評価や賞賛を積み上げることによってその劣等感を和らげようとする

私達の心理は、鎮痛剤を飲んで腫瘍の痛みを誤魔化しているだけに過ぎず、

根本の治療にはなっていないように思えてならないのです。

 

この腫瘍を根本から除去して芯から健康な状態を回復するためには、他人から

好かれているという事実を収集して自らの存在価値を確認することではなく、

自分で自分を心底から好きになれる個を確立することが最も大切なのではないでしょうか。

私は、それが本当の自尊心なのだと考えます。この言葉を英語に直すと、

self respectという表現になりますが、要するに、他人から何を言われようと、

逆に相手にされなかろうと、自分の価値をしっかりと認識し、内なる自信にどっしりと

支えられている状態。他の人たちが理解してもしなくても関係ない。自分が心の底から

良いと思っているものが、本当に良いものなのだと嘘偽りなく思えるよう、他人ではなく

自らの価値観や感性に納得が行くまで挑戦し続ける姿勢こそが、

真の「クールジャパン」と呼ぶに相応しいあり方だと思うのです。

 

「クールジャパン」と言われて喜んでいる状態を突き抜けて、「そんなことを言われなくたって

俺達はクールだ」と自らが自信を持てる日本になる為に、私達は自らの内面を

もっとしっかりと見つめ、磨き忘れてきた様々な個性や可能性を伸ばしていく作業をこそ

積極的に行っていかなければならないと、今回のインタビューを通して心の中で沸々と

感じてしまったため、この場を借りてその思いを吐露させてもらいました。私達は、

いつか必ず、このレベルから抜け出さなければなりません。真の「クールジャパン」を

自負できるようになるには、このステージからの解脱が絶対に必要なのです。

 

 

 

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