穏やかな小春日和が続いております。

昼は澄み渡った青空は高くおおらかで、夜にはぞっとするほど美しい月を仰ぐことが出来ます。

これから寒くなるにつれて外出するのが億劫になりがちですが、こたつで丸くなるのはまだ早いです。

空よし、山よし、高原よし。

冬ならではの楽しみを堪能しましょう。

    

平成19年11月17日

 義志東京本店 

                                          店長  樽見陽子

 

【新作入荷情報】

 

Tシャツ型第3「二本波」

 

 価格:13,440円(税込) 色:泥灰・黒 サイズ:小・中・大

 

 

Tシャツ型第40「百足」

 

価格:9,870円(税込) 色:白灰・紺 サイズ:小・中・大

 

 

詰襟ジャージ型第2

 

 

 価格:19,845円(税込) 色:白・黒 サイズ:小・中・大

 

 

不知火

 

 

価格:29,400円(税込) 色:白灰・黒 サイズ:小・中・大

 

 

 

 

【義志情報通】

 

前号でもご紹介した2つの強烈な個性を義志がまとめあげたき乃はち×大蛇の楽曲制作プロジェクト。

マキシシングルの発売が予定より遅れてしまいご迷惑をお掛け致しましたが、

ようやく昨日より義志東京本店にて販売を開始致しました。

ファンの方も、そうでない方も必聴の一枚。

 

き乃はち

「大蛇伝説」

価格:1,500円(税込)

 

 

 

【義志東京本店情報】

 

商品入荷のご案内を致します。

復活の呼び声の高かったTシャツ型第1「いかづち」の新色が入荷致します。

今回は「檸檬」と「白灰」の2色をご用意させて頂きます。

買い逃してしまった方は必見です。

その他、義志の渾身の力作である「鳶」に新たな新顔が続々登場致します。

上質な素材、丁寧な仕立てはもちろんのことステッチなど細部まで味のあるアクセントを加えたデザインも魅力です。

新作とあわせてご覧下さいませ。

みなさまのご来店を心よりお待ち申し上げております。

 

店長のブログ
 
http://blog.livedoor.jp/yoshiyuki_tokyo/

 

 

 

【進化せよ、日本】 

〜代表・緒方義志の言いたい放題17〜

 

 

 

「義志の存在意義」

 

 着物を代表とする「和服」という衣服のくくりに対して、欧米文化から

取り入れたありとあらゆる衣服を私達は「洋服」と呼んでいます。

スーツもドレスもシャツもジャケットも、スカートもブラウスもジーンズも

Tシャツも、これらはみな洋服です。そう考えると、今日、私達日本人の

大多数が日常着用している衣服は、この「洋服」の類であり、

洋服抜きで現代の日本の服飾文化を語ることはもはや不可能です。

わが国の服飾文化は今や洋服で成り立っていると言っても過言ではありません。

 

しかし、恐らく、「洋服」という言葉は江戸時代には存在しなかった概念です。

江戸幕府が開国を余儀なくされ、明治の世が脱亜入欧を掲げ、

人々の関心や憧れが一気に欧米に向き始めた頃から、日本人は

西欧の衣服を着るようになります。すると、それまで着るもののほとんどを

指すのに使っていた「着物」という言葉では衣服の有様を表現しきれなくなり、

そこで初めて「西洋の服」という認識や区別が芽生え、「洋服」という語彙が

誕生したのだと推測できます。そう考えると、今日私達が当たり前のように

使っている「和服」という言葉は、それ以上に馴染みのない言葉だったに

違いありません。かつては、私達が身につける衣服を「和の服」だと

認識する必要性などはほとんどなかったに違いなく、着るものの

総称として「着物」という言葉があれば十分だったわけです。

 

果たして歴史のどの時点で「和服」という概念が誕生したのか詳しいことは

分かりませんが、江戸時代の終焉からはまだ140年しか経っていません。

恐らく、その前後の時点で「和服」という語彙が誕生したのでしょうが、

この言葉の誕生と共に和服の淘汰が始まったことを思うと、これほど

皮肉なことはないと言わざるを得ません。そして、日本人の美意識や

生活様式が連続性を持って受け継いできた独自の服飾文化を、

たった140年という短い時間で吹き飛ばしてしまった「洋服」の

圧倒的な浸透力と感化力にただ脱帽するばかりです。

 

現代においては、着るものを総称して「服」と呼ぶのが一般的です。

ところが、私達の日常会話においては、着るものの総称として「洋服」という

言葉を使う人がとても多いように思います。確かに、街中の衣料品店や

百貨店で売られているほとんどの衣服が洋服であることを考えると、

さもありなんです。「服」と聞けばほとんどの人が「洋服」を連想するでしょうから、

「服」と「洋服」が同義に扱われるのも仕方のないことなのかもしれません。

それだけ今日の日本では、「普段着」すなわち「洋服」という感覚が

私達の意識の中に染み込んでいるということなのです。

 

反対に、和服を着るということは、何かとても特別な行為としてとらえられる

風潮ができ上がりつつあります。年配の方やごく一部の若者の間では

普段着として自然体で着物を着こなしている人もいるにはいますが、

そういう人たちは今日では稀な例で、多くの日本人が着物を着る時には

何かしらの理由が必要だったり、ある種の決意や気合を伴ったりします。

また、着物を自分で着られるということそのものが「凄い」とか「偉い」という

感覚が一般化してきていて、特に女性の場合は、ただそれができるだけで

とても文化的で教養のある人だという印象を与えることが可能です。

しかし、もっと凄いのは、「ひとりで着ることができるだけで人から

一目置かれてしまう衣服」の存在の方だと私は考えます。それが今の

「和服」の立ち位置になってしまっていることに、私は違和感を覚えて

なりません。着ているだけで勝手に自分を俗人と差別化してくれる

和服の実態は、ある意味で「過去の文明の貴重な遺産」というレッテルを

貼られていることでもあるように思えてならないのです。

 

かくして、和服は「大事に保存していけたら幸いな日本の文化」として

日常の生活から外され、箪笥の中にしまわれて、いつの間にか日本人の

普段着は洋服に取って代わられました。これに対して不快感を

覚えているのは呉服業界関係者だけであって、それ以外の人たちは

何の不都合も不快感もありはしません。洋服は今や国民の大多数が着ている

当たり前の衣服ですし、さらには格好が良いし、着やすいし、扱いやすいし、

買いやすい。しかも、会社に出勤する時には、どんなに服装を正そうとも

和服を認めてくれる会社などこの日本国中探しまわってもそう簡単には

見つかりません。誰が決めたか知りませんが、日本では仕事をするときは、

基本的に洋服でなければいけないのです。呉服屋の販売員や営業担当者

すらもスーツを着て接客しているご時世です。だったら、洋服さえあれば誰も

何も不自由することがないわけですから、今日の日本における和服の

必要性は大多数の日本人にとっては皆無なのです。

 

この状況を冷静かつ感覚的に受け止め、理解している服屋稼業の人々は、

普段着としての「洋服屋」をやるか、特別着としての「和服屋」をやるかの

2択からどちらかを選びます(そのほとんどが「洋」を選択しますが)。近年では、

「和をテーマにした洋服屋」という業態がひとつのジャンルを形成していますが、

彼らがやっているのは洋服屋です。「和テイスト」と彼等自身が表現するように、

要するに和の味付けをした洋服であり、和服にはさほどの興味は無いようです。

これら全ての日本の服屋たちが生き残りと繁栄のための本能として機能する

二者択一心理の結果として、普段着の領域で和服をつくる服屋が皆無と

なってしまっているというのが今日の日本の服飾業界の現状なのです。

 

そんな中で、義志は、和服を再びストリートの日常に呼び戻し消費者が

勝手気ままに着こなしながらそのスタイルを進化させてくれる状態、すなわち、

「和服再興」を目的として、洋服屋でも和服屋でもない、「日本ならではの

服屋」を目指しています。現在扱っている商品の多くが未だ洋服の域を出ず、

「洋服屋」と呼ばれることしばしばですが、その中でも空手の道着を原型とした

「空手袴」や「双」、鳶職人の作業着を原型とした「鳶」、そして地下足袋の

進化型である「義志足袋『隼』」など、試行錯誤が実を結び東京のストリート

ファッションとして意気揚々と飛び出して行った日本発信型の衣服たちが

徐々に登場しています。浴衣や下駄などの職人技に頼る伝統的な商品にも

目を向けながら、今後は化石化した和服を如何に叩き起こして

自ら進化するように促していくかということに注力していくつもりです。

 

義志の次なる課題は袴です。袴には馬乗袴、行灯袴(あんどんばかま)、

野袴、軽衫(かるさん)、裁付(たっつけ)等、様々な種類が存在しますが、

まずは武者袴から挑戦しようと思います。企画が思い通りに進めば来年の

春には『義志』独自の解釈と機能主義でデザインした武者袴を店頭にて

お披露目できることでしょう。今日の日本における男性の下半身には、

パンツやズボン、スラックスと呼ばれる「洋服」しか選択肢が与えられていません。

そこで、「せっかく俺達は日本人なんだから、袴をデザインしなおしてみようよ」

というような提言をするのが『義志』の役割だと考えます。これを商品化した結果、

果たして売れるかどうかはやってみなければ分かりません。しかし、

「きっとかっこいいものになる」という確信と期待があるからこそ、楽しんで挑戦を

しているのです。このような試行錯誤を続けながら和の服の新陳代謝を促進させるのが

『義志』の使命です。これは絶対に日本人の誰かがやるべきデザイン活動であると

断言します。これを実行し続けることこそが、『義志』がこの世に存在する

意義なのだと一人気負っている晩秋の今日この頃です。

 

 

 

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