【進化せよ、日本】 

〜代表・緒方義志の言いたい放題25〜

 

 

 

「何度でも言おう」

 

つい先日、アメリカのロサンゼルスへ行ってきました。義志は今、西海岸を代表する

セレクトショップ「フレッドシーガル」で販売されており、今回は秋冬物の商談を兼ねて

売り場を視察する目的でオーナーとバイヤーを訪ねました。店頭での売上は好調とのことで、

今度の秋冬は現状の春夏物よりも展開型数を増やして販売する旨の意向を頂き、義志の感性が

少なくともロサンゼルスでは受け入れてもらえたことに嬉しさと安堵感を覚えて帰国しました。

 

私のデザインがアメリカ人にも気に入ってもらえたというのは嬉しいことだったのですが、それと共に

確信を得たことがひとつあります。それは、日本語の商標でも問題なく商品が売れるということです。

このフレッドシーガルに商品を出荷する際に、海外仕様に変更した箇所は下げ札(商品名、色、

寸法、素材等を明記する紙の札)を英語表記に直しただけで、あとは何もいじっていません。

漢字で書かれた「義志」の織り札や小・中・大・特大で表記された寸法札、下げ札に印刷された

漢字のロゴ等、基本的なデザインと仕様は日本で売っているそのままの状態で店頭に陳列されています。

恐らく同店の顧客の殆どは、義志という漢字を読めないでしょう(日本人でも読めないくらいですから)。

それでも、服のデザインが気に入れば、ロゴの文字が何語であれ、現地の消費者は

購入してくれるのだということが、同店で日々実証されているのです。

 

ここで、誤解をして頂きたくないのは、この店では義志を東京発信のブランドという認識を持って販売は

していますが、ことさら日本風を前面に出して売っているわけではありません。この店に来る客は、

特に日本志向が強いとかアジア好きが多いというわけでもなく、純粋に世界の最新のファッションを求めに

やって来る人たちです。今、同店が力を入れて展開しているのは、アメリカのトム・ブラウン、フランスのランバン、

ベルギーのドリス・ヴァン・ノッテン、イギリスのアレクサンダー・マックイーン、クロアチアのダミール・ドーマなど、

様々な国のデザイナーによるブランドです。義志はそれら数あるブランドの中の一つに過ぎず、店としても

ことさら義志が日本のブランドであることを売り文句にしているわけでもありません。同店は、いわゆるセレブ御用達の

として有名で、とにかく旬なブランドだけを集めた高級セレクトショップなのです。そんな客層の店でも、

日本語表記の商標を付けた商品が普通に売られ、買われているという事実を日本のデザイナーや

アパレル企業の経営者、そして、その他のファッション事業に従事する全ての人に是非知って頂きたいと思います。

 

そして私は彼らに対して改めてこう問いたい。あなた達は何に怯えて日本語から距離を置くのか。

あなたはそんなに日本語が嫌いなのか。それとも日本語を使う自分に自信がないのか。或いは、

あなたの顧客が日本語を嫌うから、あなたも仕方なく顧客の需要に応えているだけなのか。あなたは自分の

商売の繁盛のために日本語を使わないのか。それとも、ファッション業界に厳然と存在する大きな

見えない力によって日本語が使えないのか。なぜ、日本のファッションは日本語を疎んじるのか!

 

いずれにしても、日本語をファッションから遠ざけているのは、他でもない私達日本人であるということを、

私達はそろそろ認識すべきです。日本語を遠ざけていた張本人が自分達であるならば、それを

再び引き寄せて蘇らすことができるのも、私達日本人しかいないのです。私達はいつになったらその作業を

始めるのでしょうか。私達は一体何を待っているのでしょうか。それとも、このまま日本語が生活の華やかな舞台から

完全に追いやられることを時代の定めだとでも思っているのでしょうか。そんな弱々しい発想は、団塊の世代や

その後輩の世代の人たちにこそあれ、20代、30代の世代の日本人にとっては到底受け入れがたい思考のはずです。

 

商品に本質的な力があれば、日本語表記の商標でも世界でモノが売れます。義志はそれを今後さらに実証していきます。

表層的なかっこよさが品質以上に重視されるファッション業界において、しがない無名ブランドが海外市場でこれを

やれるのです。であるならば、商品力に定評のある日本の大手家電ブランドや自動車ブランドならなおのこと。ブランドを

国際市場に同化させるために日本という国が持つ独自のアイデンティティを薄めたり隠したりする必要はどこにもないということです。

国際マーケティングの方法論を勉強しすぎたために、ブランド価値の本質を見失ってしまったブランドが日本には

数多くあるような気がしてなりませんが、強い商品力を持った日本のメーカー達は、その本質が素晴らしければ

ブランドロゴや商品名が日本語であっても十分に販売できるという思考にそろそろ進んでいくべきです。

 

妻は最近、私が本誌にてこの類の話題に触れるにつれ、「もういい加減にこの話題について書くのを控えたらどうか」と

半ば呆れ顔で助言してくれます。妻は妻なりに、私がいつも同じことばかりを書いて「つまらない奴だ」と思われることを

慮って冷静な意見を私にくれているのですが、私としては何度言っても言い足りないほど、このことに関しては

ファッション産業に従事する一デザイナー、一経営者として忸怩たる思いがあります。なぜなら、自分達の言語で

ファッションが表現できない文化など、所詮は異文化に依存する借り物文化であり、表現活動の根本と主体性を欠いた

最も格好悪い状態だと言わざるを得ないからです。常に時代の「かっこいい」を牽引しているつもりのファッション業界が

こんなダサいことをいまだにかっこいいと勘違いし続けているようでは、日本のファッション業界など裸の王様もいいところです。

 

現代日本のアルファベットに対する妄信は極めて表面的で、意味の伝達を軽視しており、そんな尻軽で無思考で

ありながら自己嫌悪的な日本人が、無力化していく日本語に見て見ぬふりをすることで民族的自尊心までをも放棄して

しまっていることが、私は一人の日本人として不快でなりません。ファッション業界にこの感覚を共有してくれる同士は

一体どれだけいるのでしょうか。私はこの思考が少なくともファッション業界の大部分に響くまで言い続けます。7月のこの時期、

「SALE」という文字を街のいたるところで見かけますが、例えばそんな一般的な概念ですら、もはや日本語では

お洒落に表現できなくなってしまっているというのが、今日のファッション業界と日本語との関係なのです。

 

 

 

 

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