【進化せよ、日本】 

〜代表・緒方義志の言いたい放題26〜

 

 

 

「風化させざる敗北」

 

義志東京本店は、本日8月20日で晴れて3周年を迎えました。

競争の激しいファッション業界の中で、このような大きなひとつの節目が迎えられるのは、

義志を愛用してくださる顧客の皆様、陰日向で支えてくださる関係者の皆様、

そして、会社とブランドを内から盛り立て、日々努力を重ねてくれている社員みんなの

お陰であると感謝の気持ちを新たにする次第です。これからも義志の服と

今後の活動を楽しみにしてくださる多くの方々のご期待に応えるべく、

絶えず刺激的なブランドであり続けたいと考えます。

 

さて、巷では北京オリンピックが盛り上がりを見せています。この4年に一度の

スポーツの祭典では、日本人のみならず、世界中の人々が国家をひとつのチームと捉え、

そのチーム、すなわち国家、の誇りに懸けて勝利を目指します。参加する選手は、

その人の競技人生において最大級の頑張りを示し、観戦者はそれに対し

最大級の感情移入をもって、心の底から選手達を応援します。世界中の人々が

これほどまでにオリンピックに熱くなれるのは、この大会が世界最大の国別対抗戦の

スポーツ大会であるということに尽きるでしょう。各国を代表する選手達は、

その国の期待と誇りを背負って試合に望み、勝てばその国民全員が勝ったような

気分に彼らをいざなうことができます。自国の代表が優勝なぞしようものなら、

その国の観戦者は自分達が世界で一番になったような感覚をすら覚え、

同国の一員であるという彼らの自尊心は心地よく刺激されるのです。

 

しかし、負ければその逆。負けた選手の国の国民は、皆がっかり肩を落とし、

それぞれの思いで悔しさを噛みしめます。人間は皆、勝てば嬉しく負ければ悔しい

ものです。しかし、何と言っても、いちばん悔しいのは選手本人です。自分が

積み上げてきた努力や苦労が勝利に結びつかなかったときの無念の胸中には、

テレビで観戦している私達には測り知れない思いがきっとあるはずです。だからこそ、

私達は負けた選手の失態をあげつらって責めるのではなく、その選手の

今後の成長を期待して労をねぎらい健闘を称えるのです。

 

そんなオリンピックでは、私達は「負けから学ぶ」、「悔しさをバネに成長する」という

言葉をよく耳にします。特に、テレビ中継のアナウンサーや解説者がその類の言葉を

選手に投げかけていたり、選手が自らそのような発言をしたりするのを見るにつけ、

負けたことをさらに強くなるための糧にすることの大切さを知り、負けた時の悔しさや

屈辱感が人間の成長の大きな原動力になるのだということを実感します。

 

今年のワールドカップでアメリカの選手に敗れ、連勝記録を119で阻止された

女子レスリングの吉田沙保里選手は、今回のオリンピックまでその敗北の悔しさを

片時も忘れることはなかったと言います。敗戦後はその試合のビデオを何度も

繰り返し見て自分の弱点を研究し、その悔しさを忘れないために敗北が大きく

報じられた当時のスポーツ新聞を額に入れて道場に飾っていたそうです。

これがまさに、負けから学び、悔しさをバネにするということなのでしょう。その結果、

今回の北京五輪で吉田選手は見事に金メダルを勝ち取り、過去の敗北の中から

未来の栄光を絞り出したのです。それはひとえに、負けたことを真摯に受け止め、

負けた事実とその悔しさから逃げることなく、それを意義ある教訓に変えようと

自助の努力を行ってきた結果に他なりません。

 

さて、ここからが本題です。テレビというメディアと、その情報を消費する私たち日本人は、

この金言から結局何も学ぼうとしていないようです。これだけ吉田選手の美談を報道し、

「負けることの意味」を視聴者に教えているつもりのメディアは、日本人が過去に

経験した最大の敗北をいとも軽んじ、ないがしろにしています。

 

冒頭でも書きましたが、今は北京オリンピック真っ盛りです。これが世界の

一大イベントで、日本国民の関心が高いこともよく分かります。しかし、その会期と

かぶる8月15日は日本人にとっては決して忘れてはならない敗戦記念日です。

負けから学ぶことの重さ、悔しさをバネにして成長することの大切さを言わずもがな

といった顔をして伝えるメディアが、まさかここまで敗戦記念日を疎んじるとは

私は思ってもいませんでした。例年であれば少なからずの敗戦(終戦)記念特番を

組むテレビ局が、この年のこの日においては殆どそのような特番は放送せず、

ひたすらにオリンピックの実況と試合結果をくどくどと垂れ流しているのです。

その日の新聞のテレビ欄(首都圏版)を見てみると、NHKが1時間15分

(戦没者追悼式の中継15分、ドキュメント番組1時間)、テレビ朝日が

1時間(戦争童話)の枠を敗戦記念日関連の番組に割いているのみで、

あとの殆どはオリンピック(中継と収録)とニュース、連ドラとバラエティといった編成です。

それを見て私は、8月15日はスポーツ大会ごときのイベントに優先されてしまう

記念日にいつの間にか疎んじられているという状況を、実感を持って認識しました。

 

一方で、戦争を知らない今の若い世代に当時の日本が経験した苦しみや

悲しみや屈辱感、そして何よりも戦争の実態を伝えていかなければならないと、

テレビではニュースキャスターや評論家、知識人やタレントたちが深刻そうな顔で

主張している光景をこの時期特によく目にします。現実問題として、現代の若者の

中には8月15日が何の日かを知らない者がいるかと思えば、日本とアメリカが

戦争をしたことすら知らない者までのいるとのこと。そんな若者の無知や常識の無さを

取り上げて、「最近の若者はここまで堕落した」と言わんばかりの演出で、

あっけらかんとした若者達の無教養ぶりや低質な教育のていたらくを批判し、良識ある

大人たちに現代の社会問題を「報道」したつもりでテレビはいつも悦に入っています。

 

しかし、大事なのはここからのはずです。ここからが社会の番人たるメディアの

存在価値が問われる一幕なのです。社会の不作為で教育が行き届かずに

若者が歴史的教養に対して無関心であるという現実を目の前にして、

それをただ批判して満足しているメディアなどに一体どれほどの存在価値がある

というのでしょうか。学校や家庭教育の中では十分にやり切れていない情報供給、

問題提起、関心喚起、教養促進、社会参加への動機付け等を行うことが

できるところに彼らの重要な価値があるはずです。ただ娯楽と批判と愚痴と危機感を

垂れ流すだけの偏ったメディアなどに存在価値がないことくらいは当の

メディア従事者達も十分に認識しているはずです。それにも関わらず、

自分達がそのあるまじき姿に成り下がってしまっていることにすら気付かずに

番人面をしている彼らは、滑稽を通り越して暗愚ですらあります。

 

「戦争を知らない若い世代にその歴史の真実を伝え続け、世代を超えて

語り継いで行くべきだ」と偉そうにのたまうテレビが、なぜ終戦記念日、もとい、

敗戦記念日に何の戦争特番も企画せず、戦争を知らない世代にその歴史の

一端でも伝えようとしないのでしょうか。どの局も、この日、北京オリンピックという

エンターテインメントの祭典の結果を我先にと伝えるべく、誰が金を取ったとか、

誰が二連覇しただとかのニュースばかりを配信し、私達の耳にはついぞゲーム大会の

勝ち負けの情報しか入ってきませんでした。私達大人の耳にその類の情報しか

入ってこないということは、当然、高校生にも小学生にも同じ情報しか入っていない

ということです。こうして、敗戦記念日という「ここぞ」という教育上特別な一日に、

私達は効果的な手段であるテレビというメディアを使って何の知識も歴史的教養も

子供達に与えていないのです。8月15日が何の日かを知らない若者が

増えている社会が劣悪だとするならば、その劣化の根源が一体どこに

あるのかを、私達はいい加減に気付くべきです。

 

戦争を知らない若者とそんな若者が担おうとしているこれからの社会を、

テレビは心の底から心配しているような素振りをして良識ある大人を気取っていますが、

自分の阿呆をすら自覚できない痴呆、または社会の番人のふりをした守銭奴が

発信した「あっけらかん情報」を湯水のように浴びている若者達があっけらかんに

ならない方がむしろ不思議なのです。情報発信という分野においては最も

影響力のある媒体の筆頭が、その力を上手に効果的に活用すれば、

8月15日が何の日かを知らない若者が繁殖するようなことはないにも関わらず、

現実にはその状況が悪化しているという事実は、日本のテレビ関係者の責任感と

使命感の致命的な薄弱さを如実に物語っています。さらには、その特別な日に、

オリンピック報道と歴史教育を天秤にかけて、全ての局がオリンピックを優先したという

事実が、今日の大人たちの教育における無思考ぶりを物語っています。

 

こうして、オリンピックで負けた選手をドラマチックに紹介して感動を煽り、

必要以上の感傷に浸っているうちに今年の8月15日はいつの間にか終わって

しまいました。この日の試合の勝ち負けを伝えることと、63年前のこの日、

日本で何が起こり、その結果が今の私達にどのような現状をもたらしているのかを

伝えることと、一体どちらが大切なのでしょうか。テレビはそれを分かっていながら、

強欲商人に徹しているのでしょうか。それとも彼らは本当の痴呆なのでしょうか。

 

日本が味わった史上最大の悔しさをスポーツゲームの一喜一憂の感動に

摩り替えてはなりません。日本はあの完全な敗北という事実から目を伏せては

ならないのです。いまだに引きずるその屈辱感から私たち大人は明らかに逃げています。

「私達日本人はあの敗北から完全に立ち直った」と言って他者を欺くことはできても、

自分自身の感情や意識を誤魔化すことはできず、まして潜在意識の中に沈殿する

その敗北感は上っ面の強がりや即物的な優越感では到底払拭することはできないのです。

 

だからこそ、私達人はオリンピックを放送して、見て、楽しむ傍ら、吉田選手の

実践した「負けから学ぶ」ということをもっと日本社会全体の本質的な場面に

適用していかなければなりません。そして、それ以上に今日の私達が実践すべきは、

悔しさを自覚してそれをバネにするということです。この悔しさとは、今日の多くの

大人達が言葉にも出さず話題にも触れずに避けてきた「西側諸国への敗北に

対する悔しさ」に他なりません。その悔しさと真っ向から向き合わずして、

どうしてそれを払拭できるというのでしょうか。

 

義志はその悔しさと真っ向勝負する数少ない日本の服飾ブランドとして、

人々の心を覚醒させるべく強く美しく楽しい商品をどんどん発信していきたいと

考えます。去る8月15日をオリンピックで塗りつぶしたメディアに対する憤りが

きっかけとなり、このような考えを新たに持てたことは、義志東京本店が節目の日を

迎える上で何か特別な意味があったのかもしれないと、柄にもなく見えない何かの

導きを感じ、新たな意気込みに奮い立つ3周年の8月20日となりました。

 

 

 

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