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真田紐の魔力

2018/09/11

我が国は世界でも突出して「紐」が発達した国だと言われているらしい。その中に真田紐という紐がある。通常、紐と言えば組んだ紐、すなわち組紐が一般的だが、この真田紐は縦糸と横糸から成る「織物」で、組紐とはその組成が基本的に異なる。よって、紐類の中でも独立した一つの品目として分類され、孤高の存在で居続ける特別な紐なのである。

もともと戦国時代に全国各地の武将が軍需物資として製作、使用していたそうだが、中でも真田幸村とその父昌幸が紀州の九度山に蟄居させられていたときに財政難を立て直すための商いとして家臣に内職でこの紐を織らせ、それを売り歩く行商人たちが「真田の作った真田紐」と真田の強さになぞらえて紐の頑丈さを謳い諸国に広めていったことから真田紐という名が定着したとのこと。当の真田家も刀の柄を巻いたり下げ緒として用いたりする程この紐には引っ張ったら伸びるような優柔さがなく、刀剣の他にも甲冑や馬具などを固定したり荷を運ぶための紐としても使用され、耐久性と機能性を併せ持つ実用品として重宝されていたようである。

戦国時代中期には、当代一のインフルエンサーであった千利休がそのような実用性に目を付け、茶道具を入れる桐箱を留める紐として使用するようになり、この用途が茶の湯の流行と共に全国に広まったそうだ。また、武家の女性が家にある真田紐を襷や帯締めなどに使用し始めたことから和装用品としても広まっていき、そのために絹製の真田紐も織られるようになる。こうして真田紐は武家社会に浸透し、やがてその機能や役割を超えて、武士達が自らの粋を表現する為のちょっとしたお洒落の小道具としても愛されるようになったという。しかし、明治に入り、廃刀令が発せられると共に、日常での刀剣をはじめとする武具に対する用途としての需要はほとんど無くなり、それと同時に男の日常生活と真田紐とのつながりは希薄なものとなり今日に至る。その結果、「桐箱を縛る」という利休の提案した用途だけが残り、今でも陶芸や骨董、茶道の世界などで不動の地位を保ち続けてはいるものの、それ以外の日常ではなかなか目にすることがないのである。

たしかに、真田紐が掛かっている桐箱というものは、良い意味で何とももったいぶった感じがして、開ける時はとてもわくわくするものである。恐らく、この丁寧かつ重厚に織られた独特の紐が箱の中に納められている物体を厳重に警護しているかのように思えるのだろう。この紐に手をかけた瞬間は宝物の封印を解く特権を与えられたような不思議な高揚感を覚える。この場合の真田紐は、中の物体を保護している箱を縛る為の極めて脇役的な存在だが、この紐が掛かっていることによって、箱の中の物体にそこはかとない威厳が与えられているのは間違いない。これは、真田紐が持っている一種独特の魔力とも言えるのではないだろうか。

この魔力を日常の男服の中に取り入れたい。そう思い立ち、市村藤斎氏を訪ねたのは今から10年以上も前のことである。氏は御歳89歳の真田紐職人で、大正時代から続いている家業を受け継ぐ関東で唯一の真田紐師である。藤斉の真田紐は茶道界や陶芸界で名のある先生方に好んで使われているだけでなく、宮内庁に納められる茶器や陶磁器の桐箱にも頻繁に使用されている程の格を有していながら、義志の活動にも理解を示してくださり、今も義志別注の真田紐を織り続けてくれている。

この紐の魅力を私が改めて認識した時に感じたことは、この日本の伝統工芸品はしっかりと大切に後世に残し伝えていくべきだ、などという義務感や感傷的な思いなどではない。むしろ、単純に時代や流行を超越した日本の素晴らしい技術と感性のかたちであるこの素材を日本人が普段のファッションに取り入れていないのは実にもったいないという思いでしかなかった。「伝統の継承」などといったもったいぶった発想よりも、この素材を現代人の感覚でいかに使い倒すかという発想で、まずはファッション業界がこの素材の用途や可能性を模索していくことで、この伝統は「残す」という保護の対象から「使う」という活用の対象に移行する。そうなれば、この伝統をどうやって継承していこうかなどと考えることなどもはや必要なくなるのだ。もちろん、後継者の問題や掛かる手間に対する価格のバランス、より工業化された大量生産の紐類やテープ類に対する圧倒的に不利な価格の競合性等、課題はいろいろとあろう。しかし、この紐の存在価値が正当に評価されたり新たに見直されるような使い方を今日の服飾業界が示すことで、この伝統産業は戦国・江戸期とは異なる用途で需要を拡大することができるかもしれないと思うのである。

先に書いた通り、真田紐の使われ方の歴史は時代と共にしっかりと変遷してきた。だからこそ、この紐は生き続けてきたのだとも言える。だからこそ。これは伝統工芸品としてではなく、私達の生活にもっと身近なものとして、遠慮容赦なく自由気ままに様々な場面で使われるべき代物だと思うのだ。文化というものは、そうやって時代と共に変遷する必要性やその時代を生きる人々の感性によってこねくりまわされている限り、生き続けているということなのではないだろうか。私は義志の服作りを通して、真田紐を実用的な資材として日本一「普通に使う」服屋を目指す。もちろん、アパレル用資材として流通している工業製品としての紐やテープと比べれば格段に原価は上がってしまい、その分商品の価格にも反映されてしまうのだが、それら工業製品の紐からは到底感じることができない「魔力」の対価であると思えば、その価格はきっと納得してもらえるものであると私は信じている。

例えば、義志の空手袴には飾り帯として市村藤斎製真田紐が基本仕様として搭載されているが、自分の丹田(人間の中心と言われるへそ下の部位)を真田紐で縛ることで丹田への意識を高めつつ自身の価値を高く演出するという意味を込めている。このように、人体により近いところで真田紐を活用することで、この紐の素晴らしさをより一層体感することができる。御真田師・市村藤斉氏の後押しを頂きながら、義志は真田紐が閉じ込められてしまった狭く限定された用途から解放する提案を行っていきたいと絶えず考えている。

緒方義志