__c0__ 様
6月号、なんとか6月中の配信に間に合いました!
梅雨の到来と共にお届けしようとしていましたが、
気付けば梅雨も真っ只中。
このまま気付かぬふりして過ごしにくい梅雨をやり過ごし、
一気に陽気な夏へと突入しましょう。
日本は「好き」の対象ではない
最近ありがたいことに、仕事を通してさまざまな人との新たな出会いが多く、
その都度私は自己紹介の流れの中で自分がどんな仕事をしているのかを説明します。
「服を作って売っている」という話をすれば、当然どんな服を作っているのか
という話になり、私は決まって、「こういう服を作っています」と自分の着ている
自社の服や地下足袋を示して視覚的に説明します。すると、大抵の人は
この服屋の方向性や理念に「日本」という要素が多く含まれているということを
理解してくれるのですが、たまに私は、その後に発せられる恐らくは相手の
サービス精神からくる共感の言葉に大いなる感覚のズレを感じ、私の中に
一瞬芽生える大人げない反発心を抑えるために苦笑します。
「私も日本が大好きなんですよ。」
「和っていいですよね。」
仕事柄よく投げ返される何気ない会話の返球です。しかし、
この発言を耳にすると、私は一瞬、今自分が何者と話しているのかを
疑います。相手がフランス人ならまだしも、私が話しているのは日本人です。
この人はこの会話の不自然さに何の違和感も持っていないのですが、
このようなやりとりを導いてしまった私は、瞬時にこの会話が外国人に
聞かれなかったかどうかを気にし、周囲を見回して大丈夫だったことを
確認すると、ここにいる二人の日本人が無粋を晒さなかったことに安堵します。
想像してみてください。例えば二人のフランス人が「私、フランスが
好きなんですよ」「フランスっていいですよね」などという会話を
交わしている光景を。これを聞いた人は恐らく、この二人は見るからに
フランス人ではあるのに、果たしてフランスという国と一体どういう関係に
ある人たちなのだろうと不思議に思うはずです。実はフランス人じゃない
のだろうか。それとも相当なナショナリストなのか・・・。少なくとも
私はいまだかつて同じ国の外国人同士が自分の国のことをこんな風に好きだの
良いだのと賞賛しあっている様を日常の光景として見たことがありません。
極めつけは、「私、和物って結構好きなんですよね」という言い方。
このような会話は、単なる外国人かよっぽど日本に帰属意識のない人たちの
間でこそ自然に成立するものであり、日本で生まれた日本人が
日本という国との自然な距離感から放った台詞として捉えるにはどうしても
抵抗があります。もしかすると、世間一般が欧米的価値観に大きく
影響される中、その流行に左右されずに私はちゃんと日本を愛しています
という良心と知性の誇示のために放った言葉なのか、はたまた私の仕事に
対する何気ない好意や共感を示してくれただけなのか、もしくは純粋に
好きなものを好きと言っただけなのか。いずれにしても、この人が図らずも
日本国民の野暮を効果的に演出してしまったということは確かです。
それどころか、日本人同士が自分がいかに日本を好きかと語り合う様は、
野暮を通り越して気色が悪いと言わざるを得ません。
日本人にとって日本とは何でしょう。それは自分が帰属する最大の
ユニットであり、共に繁栄を築き上げていくチームです。それは自分の
アイデンティティを形成する大きな要素であり、他のチームの人間と自分を
差別化する上で拠り所となる故郷であり家族であり背骨なのです。
すなわち日本とは自分自身であり、日本とはすなわち責任ということです。
よって、日本人にとって日本がどれだけ好きかなどということは
どうでもいいとは言わないまでも、少なくとも自己に対する愛を自分で
認識してさえいれば、ことさらに口に出して宣うことではないはずです。
それを、舶来物志向の人が「私はイタリア物が好きだ」とか「俺は
東南アジアの文化が好きだ」などと言って自分の趣味嗜好を語る感覚で
日本を語って欲しくはないのです。私たちにとって、日本というものは
嗜好性の数あるジャンルの中のひとつではなく、自分達がその魅力を
どうやって引き上げ、いかに繁栄させていくかを絶えず考えなければならない
対象の主体者なのであり、その責任をよそに「和っていいですよね」などと
言ってあっけらかんと自画自賛しているようでは、その先の進化や発展に
対する思いや意識は到底芽生えては来ないでしょう。私たち日本人は
単なる和文化愛好家であってはならないのです。プロ野球で、巨人の選手が
単なる巨人ファンであっていいはずがありません。選手の役割は、
巨人を強くするために精進することなのです。だから私たち日本人も、
単なる日本ファンであってはならないのです。
むしろ大切なのは、「日本はこんなもんじゃない」という飽くなき
向上心と探究心です。「日本も捨てたもんじゃない」とか「日本文化って
素敵だよね」などと言って意識的に自分達を褒め合っている私たちは、
はっきり言ってまだまだ格好悪いと自覚すべきです。日本人同士、
今後どうやってより良き自己を形成していくのかということについてこそ
もっと言及し合うべきではないでしょうか。日本が好きなのはみんな一緒です。
大前提です。今さらそこのところを確認し合うのはやっぱり野暮というものです。
ここはひとつ、みんなで喧々諤々やろうじゃありませんか。
ご意見・ご感想・お問い合わせ: daihyou@yoshiyuki.jp