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__c0__ 様

 

すっかり秋らしい季節になりました。

義志 東京本店は5年目を迎え更にやる気に満ち溢れております。

店頭でも続々と新商品が入荷して参りますので、

秋のお出掛けがてらにぜひ義志 東京本店にお立ち寄り下さい。

従業員一同お待ち申し上げております。

 


 
■■新作入荷情報■■
 
Tシャツ型第32「稲妻」
価格:8,295円(税込) 色:紺、黒 サイズ:小、中、大
 
上質な薄手の天竺素材を使用した義志定番Tシャツのひとつ、Tシャツ型第32に新柄が登場。
晩夏初秋の風物詩である稲妻が力強く天から落ちる様を、職人の手技により
柄筋の中心部を意図的に盛り上げて立体的に仕上げる独特のプリント技術で表現した。
紺と墨黒の2色展開でどちらも深く落ち着いた色調の素材を使用しているが、
紺には赤で強い配色を、墨黒には黒で同系色の渋い配色を施し、
どちらの色使いも大きく異なる印象を作り出している。
 
 
価格:8,190円(税込) 色:藍白、猩々緋 サイズ:小、中、大
※写真は藍白
 
今季の義志が提案する差し色である猩々緋(しょうじょうひ)と藍白(あいしろ)を基調に
上品な同系色の切り替えで大柄の市松模様を表現した半袖カットソー。
質な天竺素材の軽い着心地とクセのないシンプルなシルエットで着回しの利く一枚。
 
 
Tシャツ型第64「燦気炎」
価格:10,290円(税込) 色:藍白、猩々緋 サイズ:小、中、大
※写真は猩々緋
 
Tシャツ型第63同様、今季の提案色である猩々緋(しょうじょうひ)と藍白(あいしろ)を
基調にした七分袖カットソー。着る者の内から燦々と放出される陽の気を、
金と銀の箔プリントで力強く表現した。胴の前後と両腕に余すことなく
施された「燦気炎」の柄は、安土桃山時代の豪奢な絢爛趣味を彷彿させる。
 
 
裏毛長羽織
価格:33,600円(税込) 色:青、黒 サイズ:小、中、大
 
肉厚ながら柔らで肌触りの良い、裏毛起毛素材を使用した長羽織。
背中の「丸八耀文」は、生地を柄の形にくり抜き、そこに別の生地で柄を嵌め込み、
縁を刺繍で押さえる「切り嵌め」という手法で表現。「切り嵌め」加工の特徴は、
内側から見ても外側と同じ柄が見える状態になっているということで、
内側にもデザインを施したような贅沢な気分を味わうことができる。
また、内装に対するさらなるこだわりとして、内側の主要な接ぎ目にサテン調の光沢を放つ
艶やかな素材でバインダーを施し、見た目の高級感と強度を同時に高める仕様となっている。
陣羽織のような裾の割りと細めのシルエットは義志の太い袴と相性も抜群。
 
 
革帯
価格:16,800円(税込) 色:白、黒 サイズ:中、大
 
あえてデザインはシンプルに、こだわりはバックルに凝縮。厚さ6ミリの肉厚の真鍮を型抜きした
伸び亀甲のバックルはクロームメッキ仕上げでシルバーのような輝きを放つ。
いつもの装いも重厚感のあるベルトで更にインパクトを加わる。
 
 
大数珠腕輪
価格:水晶/黒檀:6,090円、鉄刀木:3,150円 サイズ:大
 
大珠の水晶×黒檀、鉄刀木(たがやさん)を使用した存在感のある大数珠腕輪。
 

 
 
■■進化せよ、日本■■
〜代表・緒方義志の言いたい放題35〜
 
 

「もっと自由に、もっと楽しく、もっとおおらかに」

 

テレビのワイドショーやインターネットのニュースなどを介してもう既にご存知の方も

多いのではないかと思いますが、先月開催されたミスユニバース世界大会に向けて

私がデザインとプロデュースを手掛けた日本代表のナショナルコスチュームに対し、

批判や苦情が殺到し、義志東京本店のブログが炎上するという珍事が7月にありました。

同月31日には「デザイナー炎上」という意味不明なタイトルでMSNニュースの

トップ項目に記事が上がったのには私も正直驚きましたが、批判や苦情のみならず

罵倒や誹謗中傷も含めると最終的には1万件を超える書き込みがなされる程、

今年のナショナルコスチュームのデザインに対する日本国民の憤りは大きかったようです。

 

特に争点となった要素として挙げられるのが、まずは下半身を露出する着物の

着丈の短さです。次に、ピンクのストッキングとガーターベルトの組み合わせ。

あとは、着物の素材を革に使用したことや襦袢を着用していないこと。さらには、

憶測や作り話による盗作疑惑についても糾弾をしようとする書き込みが堂々となされ、

私としては残念極まりない反応を受け止める結果となってしまいました。

 

さすがに、1万件もご意見を頂いてしまうと、その一件一件に返信や回答をしていく

ということがままならず、結果として貝になってしまったかのように受け取られて

しまったようですが、私としては今回の衣装の出来栄えには誰が何と言おうと

大変満足しているため、できることであればご批判に対しては徹底的に

ご返答したかったという思いでいっぱいです。特に、メールで真剣にご意見を

下さった方々には、誠意を持って私の思いをぶつけ返したいところだったのですが、

やはりこれも全てに対して対応をすることができませんでした。そこで今回は、

この「ミスユニバース衣装問題」なる騒動に関して、この場を借りて改めて

私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 

しかし、その前にあらかじめお断りしておきたいのは、この度のご批判の中で

「国民に対する謝罪」を私に要求する声も多かったのですが、これに関しては、

私は一切応じるつもりはございません。正直申し上げて、誰に何を詫びるのか、

詫びるべき悪事は何なのか私にはさっぱり分かりません。私はむしろ、

今回の衣装製作における新しい試みに快く協力をしてくださった呉服店や

西陣の織元に対して、彼らを追い詰めるがごとく誹謗中傷の攻撃を

行った人たちにこそ深々と詫びて欲しいと思っています。

 

少し調べれば、彼らがいかに着物を愛し、どれだけ和装文化の発展に尽力しているか、

どれほどまでに真剣に着物の未来を考え、真摯なものづくりをしているのかが容易に

分かるはずです。彼らは間違いなくこれからの和装業界を背負っていく重要な

存在であり、新しい着物文化の創造にも進んで挑戦していく感性と気概を併せ持った

貴重な作り手たちでもあります。そんな着物文化の将来を担う方々を、たまたま

一つの活動が気に入らなかったからといって、ここぞとばかりに潰しにかかるような

行為は愚かの一言に尽きます。「私たちの着物文化を守れ」という正義をかざしながら、

その着物文化を振興していく上での貴重な担い手の商売を妨害するとことは、

自分で自分の首を絞めているのと同じことです。特に西陣織の織元や職人は、

今や和服産業が絶対的に大切にしなければならない貴重な財産です。

それすらも分からずに、ただ感情に任せて彼らを誹謗、中傷した人々は軽率極まりないと

言わざるを得ず、逆に、それを分かった上で彼らを攻撃した人々は、着物文化を守る気など

鼻からないわけですから、これはもう立派な「悪質な迷惑行為」です。

このようなことは努めて謹んで頂きたいと願いうばかりです。着物の未来を考えて

実験的、冒険的創作に挑戦する業界の功労者に対し、このように画一的な拒否反応しか

示すことができない風潮では、今後新しい着物の表現に挑戦してみようと

思う人たちのやる気や好奇心を削ぐばかりで、新たな感性や才能を業界に

招き入れて活性化を図ることなどは到底できません。

 

また、この度のデザインに対して、「日本の伝統文化を貶めた」とか「着物の伝統を

冒涜した」というご指摘も多く頂きましたが、私は古典ではなく新しい着物の

デザインを提案しました。ゆえに、この衣装が伝統からかけ離れているというご指摘は

ごもっともであり、それについては狙いがきちんと理解されたと解釈することもできます。

「世界に日本を紹介する舞台で伝統的な表現を見せないとは何事か」というご指摘は、

このコンテストの主旨を理解せず、勘違いの思い込みによる解釈の下に発せられた

お門違いの言いがかりです。このコンテストは、ナショナルコスチューム

コンテストであって、トラディショナルコスチュームコンテストではありません。

ゆえにアメリカがプレスリーを連想させる衣装で登場したり、キューバが野球のユニフォームを

ベースにした衣装を着用したりしたのは、このコンテストが伝統的な面にこだわるものでないからです。

 

これは単に真面目に各国の古典的衣装を披露する文化的、学術的な発表会ではなく、

ウィットやユーモア、遊び心や創造性の介入が許された陽気なお祭りなのです。

そんな中で一人真面目くさって日本人の奥ゆかしい一面を見せたところで観客の

気分を高揚させられるでしょうか。日本人はそんなに空気が読めず遊びの分からない

民族なのでしょうか。常識的な日本人はこう言うかもしれません。「アグレッシブな

色気で客を高揚させるなんて日本人の役所ではないし、我々にはそんな性質は

元来備わっていない」と。私は、そう考える今時の日本人こそが、自分を型に

はめ込んで良識のある大人を気取って格好はつけるものの、型にはまらない

自由な他人を密かに羨む無粋な人種に思えて仕方がありません。

 

江戸時代に日本へ渡ってきた西洋人の多くが当時の日本人を説明するときに、

好奇心が旺盛で明るく屈託のない民族だと形容したそうですが、今回のナショナルコスチューム

への反応を見て感じるのはむしろその真逆で、暗く陰湿な性質が痛々しいくらいに

露呈しています。なぜもっと自由に、もっと楽しく、もっとおおらかに、

日本人が大好きなお祭りを誰よりもはじけて楽しむことができないのでしょうか。

衣装のデザインが嫌いだとか、俺ならもっと格好いいものを作るとか、

感じたことを言いたい放題言い合うのは悪いことではありません。しかし、

だからと言って、これから世界の祭典に向けて日本代表として意気揚々と

旅立とうとする宮坂絵美里さんをも公然と罵倒し、同士である日本人

(しかも大人たち)がブログという簡易で匿名性の高い手段を使って一人の

大きな可能性を秘めた明るく元気な25歳の女性のモチベーションを著しく

削ぐような行為に走ってしまう感覚は同じ日本人として非常に情けなく、

ある意味で恐ろしくもあります。彼女に対してそこまでの攻撃を加える理由は

一体何だったのでしょうか。彼女は何か罪を犯したのでしょうか。彼女は

辛辣な言葉を無遠慮にぶつけられてよいほどの悪行を行ったのでしょうか。

もし今回の衣装そのものが悪であるならば、宮坂絵美里さんを攻撃することで

その悪を懲らしめられるとでも思ったのでしょうか。だとしたら、そのような投稿者たちは

驚くほど思慮が浅く、物事の本質を見極める能力を欠いたエキセントリックな

偽善者です。そんな品格を欠いた人たちが偉そうに日本人の心の豊かさや奥深さなどについて

説教をたれるさまは、滑稽を通り越して悲しい光景でしかありません。

 

さて、今回寄せられた苦情の多くは、日本の美しい着物文化を保守せよという

姿勢から来るものであり、その姿勢は私も志を同じく持つ一人の日本人であることを

まず先に申し上げておきます。しかし、私たちが着物を守りたいと思う心理の根底には、

民族の独自性や個性を守りたいという思いがあるからで、決して着物そのものを

そのままのかたちで残すことがそもそもの大義ではなく、そのような文化、

文明を作り上げた日本人の精神性を守りたいという思いが根っこにはあるはずなのです。

そうでなければ、「着物を守る」という行為はモノのかたちに対する即物的な

こだわりでしかなく、私はそんなものにはさらさら興味がないと言っておきます。

何よりも大切にすべきなのは、日本人が歴史の中で生み出してきた物や事の形や

見え方ではなく、その源にある感性や魂や心意気なのではないでしょうか。

かたくなに着物のかたちをそのままに留めておくことができたからと言って、

今よりも恐らくは遥かに豊かであった日本人の着物を楽しむ心のあり方をも

内に抱くことができるなどと考えたら、それは大きな間違いです。

 

「着物は奥ゆかしき日本人の象徴的装束だ」などと本気で宣っている人々は、

かつての日本人の豊かな生活文化や美意識の多様性をたったひとつの性格に

縛り付けて、恐ろしいほどに狭い枠の中に日本人の特性を嵌め込もうとする

内向的な自己矮小化主義者であるとしか思えません。日本人の民族性も衣服としての

着物の特徴も、決して「奥ゆかしい」だけではないのです。派手好きで華やかな

一面もあれば素朴で無骨な一面もあり、大胆さもあれば慎重さもあります。

また、合理的な性格もあるかと思えば、非合理的な性格も併せ持ち、

それら全てが日本人と着物の特徴であり魅力なのです。こういった多様性を

奥にしまい込んでしまうような考えは、恐らくは、戦後の日本人が華やかさで

適うことのなかった欧米文化との相克の中で自らを「奥ゆかしい民族」と

説明することで彼らよりもきらびやかでない自らの文化を擁護し、

自尊心を保とうとする心理的な自己防衛のための弁解的認識であったのだと私は考えます。

そんな自らに与えた「奥ゆかしい私達」という役柄設定を後生大事に今日も

守り続けることに私は嫌悪感すら覚え、また私よりも若い人たちまでが

そのような自縄自縛の妄想を真理の如く叫ぶさまに薄気味悪さすら覚えるのです。

 

通常、若者のファッションは、常識人の提言からは生まれてきません。また、

小うるさい良識ある大人の「普通はこういうものだ」という道徳めいた

押し付けなどにはむしろ意図的に反発しようとするのがファッションの特徴です。

それは今も昔も大差はありません。「江戸のきものと衣生活」の著者、

丸山伸彦氏はこう書いています。「江戸時代のファッションの流行の担い手は、

遊女とかぶき者、そして歌舞伎役者であった。当初、彼らの尋常ならざる装いを

白眼視していた常識的人々も、徐々に彼らの異装を取り込み、流行を形づくっていった。」

「遊女やかぶき者は社会階層の枠外にあって」、「伝統的規範や慣習にとらわれない

大胆な衣装を愛好した。」一般の社会規範から外れた者達が自らの存在を

誇示するためにしていた華美で常識破りな格好に、当時の若者たちは憧れを抱き、

少しずつ彼らのファッションを取り入れていきながら、それが流行になっていった

ということです。結局、カッコいいものというのは、時代を問わず、

常識から外れたものであり、それをいち早く受け入れられるファッションリーダーの

感性と価値観の柔軟性が一目置かれる世界なのでしょう。そんな中で、

あれは非常識だ、あれは普通じゃないなどといった見識こそが、

当時のお洒落の達人たちからしてみれば野暮の骨頂だったのです。

 

このように、異端を楽しむ遊び心があったからこそ江戸の着物文化は次々に

新たな流行を生み出しその栄華を極めました。今のままでは面白くないという

発想がファッションを進化させるのです。創造は破壊から生まれるなどと言って

格好をつける気は毛頭ありませんが、少なくとも新しいスタイルが生まれるからこそ

古典が輝き、遊びがあるからこそ真面目が生きるのです。新しいスタイルを社会が

許容したからといって、古典がそう簡単に死ぬわけがありません。

何世代にも渡り受け継がれてきた伝統を、今の世代の新しい提案によってたやすく

葬り去ることができるなどと考えるのは、それこそ現代人の過剰なうぬぼれです。

逆に、新しいものを生み出せなくなったときに、その文化が持つ力が自然と

弱まり始めるのだと考えるべきでしょう。古典の伝統をより生きた形で

後世に残していくためには、新しい提案が不可欠なのです。

古典と前衛との活発な相克があってこそ、文化は進化し生き続けるのです。

 

しかし、平成の今日、そのような遊び心は文化を破壊するだけのものとして、

和服業界人のみならず一般の消費者たちまでもが着物の風紀を守るために常識人、

すなわち、「良い子」であろうとしています。私たちが本当に着物文化を楽しく

生きたものに変えて行きたいと願うのであれば、みなもう少し不良的感覚を持つべきです。

これは、今日の着物文化に対する日本人の感覚があまりにも優等生志向に

振れすぎてしまっているので、そんな時代だからこその提言です。

今も昔も、良い子からはファッションは生まれてこないのです。

 

今回の騒動で、着物を神聖不可侵の文化遺産だと考えている日本人がいかに多いことかと

改めて気づかされましたが、着物は元来ただの服です。そして、かつてはファッションでした。

犯すべからざる神聖な文化などでは決しなく、むしろ庶民も貴族も武士もヤクザも、

自らを表現する日常の衣服として自由に(身分における制約はあったものの)着こなしを

楽しんでいたはずなのです。着物文化は人々から絶えずいじられてこねくり回されていたからこそ、

生きた文化であり続けられたのです。着物の着方やデザインに対して「正しい」とか

「正しくない」という観念がファッションとしての着物の進化を阻害している今だからこそ、

そんな時代の日本人の着物との関わり方にもう少し思いを馳せ、平成の私たちも

もっと私たちなりいじくり回して、平成人の手垢で汚していくべきです。そんなことをしたら

御先祖様に申し訳ないなどという懸念は杞憂です。心配しなくても、そのくらいで古典は死にませんから。

むしろ、現代の私たちが「良く分からないから」という理由で着物に触らないことで、

着物で遊ぶという感覚そのものが死に絶えてしまうことの方が、この素晴らしい服飾文化を

2000年以上もかけて作り上げた私たちの先人に対して申し訳がたたないと思いませんか。

 

私たちに必要なのは、もっと自由に、もっと楽しく、もっとおおらかに、

今日における着物との接し方を試行錯誤することであり、単純に保守することでは

ないというのが私の考えです。これに賛成の方も反対の方も、このような議論を

一過性のものにすることなく、今後もこの先の50年後100年後に私たち日本人が

着物とどう関わっていたいのか、また、着物文化がどうあって欲しいと願うのか

ということを意識しながら着物文化について考えていくべきです。

着物に対しては様々な異なる価値観が存在しているようなので、それらの異なる

感性や意見が対立し、時には衝突することもあるかとは思いますが、

その衝突はきっと幾ばくかの刺激を促し、少なからずの覚醒をもたらすことでしょう。

その少しずつの刺激と覚醒を繰り返すことで

着物文化があのかつての活気を取り戻すことを私は願って止みません。

 


 

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