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師走、何かと気ぜわしいこの頃となりましたが、いかがお過ごしですか。

義志ではこの冬おすすめの新作が勢揃い致しました。

いよいよ冬も本番。
寒い季節に心もお洒落も元気にしてくれる義志の最旬商品に要注目です。

今年も残すところあと半月となりましたが、
今年一年頑張った自分へのご褒美に、義志の服を贈ってあげるのはいかがですか。

 

 

■■■ 新作入荷情報 ■■■
 
飛猿
価格:29,400円(税込) 色:白灰 サイズ:25.5cm〜28.0cm
 
こはぜと紐の2つの調節機能を併せ持つ義志足袋。躯体には上質な白灰、
踵には黒の牛革を使用。ベロ部分とつま先内側には同色のバックスキンで切替え、
さり気ない変化を持たせている。また、ベロ部分は内側からゴムで本体と留めているため、
紐を外してよりシンプルな表情で履くことも可能。足首周りに内蔵した
厚めのスポンジにより、包み込むような心地よい装着感を実現し、
機動性に富んだ軽快な履き心地を創出する。
 
 
才蔵型第4
価格:27,300円(税込) 色:媚茶 サイズ:中、大
 
  フェイクボアを使用した、フワフワの着心地が特徴の防寒羽織。
前身頃には計18枚の型紙で構築された変わり檜垣(ひがき)の切り替えが施され、
義志らしい豪快かつ緻密な設計が最大の魅力。袖口には親指を通すための穴を設け、
手袋が無い時でも手の甲までは防寒できる機能を装備。また、ファスナーの引き手には
義志が関東唯一の真田紐師、市村藤斎に別注した純綿真田紐を採用。本型の型式名ともなっている
霧隠才蔵の主君である真田氏に由来する付属を付けるという粋な演出になっている。
 
 
Tシャツ型第45「違い四本引き」
価格:12,600円(税込) 色:小、中、大(大は黒のみ) サイズ:小、中、大
 
しっとりとした肌触りの天竺素材を、2枚重ねで仕立てた長袖カットソー。
素材を重ねることで、この時季に丁度よい肉厚になり、インナーとして重宝する一枚
柄は、左肩の前から後にかけて太い四本の線が流れるように配置されており、
ふわりとした着心地に直線的なプリントが全体を引き締めている
 
 
Tシャツ型第56「ゆれ菊」
価格:9,345円(税込) 色:白灰、黒 サイズ:小、中、大
 
コシのあるさらりとした天竺素材を使用した長袖カットソー。
前後には花びらが舞い落ちる菊の柄のプリントが大胆に配置。
インクを平らに刷り込むのではなく、完全に刷り込まずに中心を盛り上げる
”跳ね上げ”という特殊技法を使用。更には、隆起部分にアルミ粉を乗せるという
手の込んだ加工法を施すことで、花弁一枚一枚に動きと立体感が与えられている。
 
 
Tシャツ型第0
 
「月に星」 色:白 サイズ:中、大、特大                                    「大角」 色:墨黒 サイズ:中、大、特大                                  「蝙蝠」 色:白灰 サイズ:小、中、大、特大
(価格は全て 税込7,245円)

袖口に空手着のような補強縫製を施した義志の定番、
Tシャツ型第0に新柄と新色が登場。

Tシャツ型第75「八咫烏」
価格:7,140円(税込) 色:白、青 サイズ:小、中、大、特大
 
本年の夏に、フリースタイルフットボールチーム「球舞」の世界進出に向け、
リーダーMarco.監修の下、フットサルブランド「gol.」の企画による
義志デザインの球舞オフィシャルゲームシャツが製作された。
(このレプリカシャツは近日発売予定!)
この度これを記念して、3社のトリプルネームTシャツが誕生。
日本のサッカーを愛する沢山のファンや日本独自のサッカーを追及する多くの
プレーヤーたちに向け、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏(やたがらす)と
日の丸を背中にあしらったNIPPON応援Tシャツ。
球舞が牽引するフリースタイルフットボールのみならず、サッカーもフットサルも、
全てのフットボールフリークに着て頂きたいという思いが込められている。
 

■■■ フリウ新着情報 ■■■
 
商品再入荷のご案内

三河木綿の刺子織素材を使用した袋物のシリーズ「懐」の

万能鞄「懐 型第4」が再入荷致しました。

前回はあっという間に完売してしまった大人気商品。

買い逃してしまった方はこの機会をお見逃し無く!

 

 

フリウのつぶやき

 

新たな情報提供手段としてTwitterによる情報発信を開始しました。

主に入荷のお知らせやブログ更新情報が中心ですが、

時にはそれ以外の事についてもつぶやいてみようと思います。

フォローして頂けるとやる気がでますので、宜しくお願い致します。

http://twitter.com/fulyutokyo

 

 

定休日のお知らせ

 

平成23111()よりフリウは、
定休日を設けることとなりましたのでお知らせ致します。

 

定休日:毎週火曜日

  なお、祝日と重なる場合は営業致します。

 

引き続きご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

 

 

フリウ 公式ホームページ

義志直営店フリウのブログ:フリウの流儀

義志のブログ:義志番頭日記

 
 

■■■ 進化せよ、日本 ■■■

〜代表・緒方義志の言いたい放題39〜

 

 

「英語を吸収し続ける日本人に足りないもの」

 

私はクリスマスパーティなるものには誘われても参加しない人間なので、

最近生でこういう情景を目にしたことはないのですが、テレビCMなどでは

家族や友人同士が食卓を囲んで「メリークリスマス」と言って乾杯している

場面などを見るようになってきました。そもそも私は、キリスト教徒でもない

日本人が娯楽としてクリスマスをやることには徹底的に批判的な見方をしている

人間のひとりですが、今回はそのことについてはさておき。

 

日本人同士が英語で交し合うMerry Christmasという祝福のあいさつ。

この言葉に代わる日本語は未だに特には無いようで、敢えてクリスマスの

挨拶をしたいときには、我が国では英語で言うのが一般的です

(そもそも、このことこそが、クリスマスが日本人の精神文化に

入り込めていないことの証左でもあるのですが・・・)。

 

しかし、このような特殊な場合を除き、季節の挨拶などには、

お互いにその意味を感覚的に理解できる母語を使うのが普通です。

というよりも、当たり前です。ですので、さすがに、「あけましておめでとう」を

日本人同士で英語で言い合う場面などはまず見かけません。

ところが、年賀状になると話は変わってきます。

 A Happy New Year

今では日本人同士がこの言葉を年賀状でやり取りするのは全く珍しくありません。

ほとんどの人は、言葉としてよりも、ハガキのデザイン要素として

この文言を入れているのかもしれませんが、この状況を外国人の視点から

俯瞰してみると、やっぱりちょっと不思議な気がします。

 

ハガキをお洒落にかっこよくデザインしようという思いで、ついつい

使ってしまいたくなるものなのでしょう。かく言う私も、小学校の時に

母からこれを教えられ、まだ仲間の誰もが使っていない英語を

「お前には何て言っているか分からないだろう」と言わんがごとくこれ見よがしに使い、

悦に入っていた記憶があります。その頃の自分の感覚を思い出してみると、

ただただ字面の目新しさや音の響きの非日常感を楽しむだけの

気軽な演出であって、特に深い意味はなく、デザイン上別段英語にする必要はないけれど、

何となく洋風に味付けしてみようという単純な気分だったような気がします。

 

A Happy New Yearは、年賀状だけではありません。

新年初売りの百貨店や原宿の衣料品店、商店街のアーケードや飲食店の店頭など、

今では街のいたるところに英語で新年の挨拶を掲げている光景が自然になってきました。

日本人はつくづく「英語で表現したい国民」だと思わざるを得ません。

 

話は変わり、今年はNHKの「龍馬伝」の放送により、坂本龍馬と幕末維新に

注目が集まった年でした。高校生の時に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に感化され、

以来坂本龍馬を最も好きな英雄として憧れ、大きな龍馬の写真を常に部屋の中心に

飾ってきた私にとっては、それだけで心躍る一年でした。そんな私と同じように、

この機に龍馬の偉業とその時代に日本が経験した劇的な変動と葛藤に思いを馳せ、

今の日本人はもっと先人たちの思いを継承していかなければならないと実感した人も

多かったのではないでしょうか。私個人としては、今の日本は、先人たちがあらゆる

知恵と精神といのちを削って守り残してくれた母なる国であり精神の故郷なのだと

しみじみと感じます。日本が乗り越えてきた危機の大きさは、今日一定の平和を

保っている現代の国際社会においては想像しがたいものだったはずなのです。

 

特に幕末のペリー来航の場面は、本で読んでもドラマで見ても、

はらわたが煮えくり返るほどの屈辱を感じます。アジア各国を手に入れた

欧米列強が日本に興味を示す中、アメリカの艦隊が強大な軍事力を背景にして

独立国である我が国に押し入ってきて、こちらが求めてもいない修好を強要し、

最終的には武力による恫喝でもって強引に和親条約を結ばされた史実。

その4年後にはハリスというこれまた東洋人を見下した傲慢で強圧的なアメリカの

総領事により不平等極まりない修好通商条約を締結するに至る経緯。

 

となりの中国などは、アヘン戦争の結果、上海を開港させられ、以後、

貿易は白人の手ににぎられます。英米仏はそれぞれ租界(居留地)を設け、

その地区にヨーロッパ風の都市をつくって、自らの文化文明を否応なしに移植しつつ、

租界内の警察権と行政権を掌握します。このとき、上海における主導権は

完全に外国人の手にあり、すべてのシナ人はかれら白人の奴隷のごとく使役されたのです。

 

しかし、日本は上海のように植民地化という最悪の事態は自力で回避しました。

時はまだ近代国家としての体をなしていない日本ではあったのですが、

それでも日本を外国からの侵犯からなんとか死守しようと、

さまざまなイデオロギーや利害が交錯する国内情勢にありながら、

朝廷も幕府も、役人も浪人も、侍も商人も、学者も百姓も、日本を日本のまま

存続させるという至って純粋な大義を共有し、この難を奇跡的に乗り切ったのです。

 

もし日本があのとき植民地となっていたら、今の日本は、そして日本語と日本文化は

大きく変わっていたかもしれません。その流れを阻止した活動家の一人が坂本龍馬であり、

彼らの強い志が、日本が日本でなくなることを阻んだのだと言っても過言ではありません。

屈辱的な外交を余儀なくされた我が国の本格的外交の黎明期に、よくぞ最悪の事態を

回避してくれたと彼ら志士たちの働きを称えたい気持ちでいっぱいです。

特にその中でも、坂本龍馬が現代の日本人から支持される一番の理由は、

日本が始まって以来の国家存亡の危機から日本を救った明治維新の

大立役者だからということに尽きるのではないでしょうか。

 

彼は志半ばで倒れましたが、彼の思いはもっと大きく未来を見ていたと言われています。

世界の海を蒸気船で駆け回り、世界を相手に大商いをし、日本に最先端の技術をどんどん持ってきて、

日本を西欧列強に負けない強くて豊かな文明国にする。そして、目指すべきは、

黒船来航から始まる西洋列強との屈辱的な関係からの脱却、ひいては日本が日本として

独自の繁栄を築くということだったはずです。異国に圧倒されない日本をつくる。

それは、坂本龍馬のみならず、高杉晋作も西郷隆盛も、吉田松陰も勝海舟も、

今日の日本人からの尊敬を集める幕末の志士たちすべてが目指した日本です。

 

それが適わなかった国々が世界でどれだけ多かったかを考えると、

日本があそこで国体を守ることができたということは実に感慨深いことなのです。

アメリカのみならず、欧州の列強国は、15世紀に始まる大航海時代からの流れの中で、

ことごとくアジア、アフリカ、南米を力ずくで植民地化し、自分たちの文化を

唯一絶対として押しつけ、自分たちの宗教を布教することで世界の価値観を

自分たちのそれに同化させていきました。そして同時に

多くの民族の固有の言語を衰退、消滅させる原因となったのです。

 

最終的にはアメリカとイギリスが言語において世界を制覇しました。

これは彼らにとっては筆舌に尽くし難いほどの勝利です。いまや、

彼らの言語は世界の基準となっています。だから、国際人を目指す世界中の人々が

英語を勉強します。優秀な人材が語学習得および学問のために世界中から米国、英国に集まります。

そのために、米英は本国にいながら動かずして国際交流が深まり、同国に対する外国人の

理解や情や親近感が強まります。やがて国に帰った外国人たちが故郷にその共感を広め、

その文化に根ざした価値観が理解され共有される結果、市場が世界中に拡大し、

それがいつしか世界基準になっていくのです。こうして英語圏の文明が

中心に今日のグローバルスタンダードが形成されています。

 

こういう成功事例を目の当たりにしながら、なぜ日本はこうなろうという野望を

れっぽっちも持たないのでしょうか。「そんなことは到底無理に決まっている」、

「現実的にものを考えろ」、「子供じみた妄想だ」、などと私は馬鹿にされるでしょうか。

それとも、「植民地時代と今とでは、時代の背景があまりにも違う。議論が飛躍しすぎている」、

「あの覇権主義国家のロシアや中国でもさすがにそこまでは考えていないだろう。

危険なナショナリズムだ」などと批判と拒絶の矢が飛んでくるでしょうか。

 

これは私の妄想ですが、異国に圧倒されない日本を目指した幕末の志士たちが、

今日のこの世界情勢を知れば、まだ自分たちの維新は終わっていないと思うでしょう。

なぜなら、日本は国際社会の中でまだ確固たる立ち居地を築けておらず、

精神的に居心地の良い状態に置かれているとは到底言えないからです。

日本は、明治維新を経て、やっと国家としてひとつの共同体になりました。

しかし、日本の目指すところは、それだけではないはずです。未来永劫、

日本が日本としてその独自の文化文明のもとに揺るぎない繁栄を目指すために、

世界において各国との相互関係の中で生きなければならない日本は、

いかに自分たちが有利にかつ快適に活動できる足場を作っていくかということを

恒久的に考えていかなければなりません。これは、国際社会において、

日本がどこまで自分にとって勝手の良い土俵を作れるかという課題です。

 

アメリカとイギリスは、自らの戦略と行動でそれを成し遂げました。

この状況は、英語を母語とする人たちにとっては、国際的な活動をする上で

この上なく有利で、同時にそれは、英語を母語としない人たちにとっての不利を

意味します。私たちのように英語を母語としない人種は、世界と通じるために、

時間と労力を裂いて英語をわざわざ勉強しなければなりません。日本の学生が

この勉強に費やす時間は膨大なものです。この間、英語圏の人たちは他の学問を

やっています。または自分にとって有益となる何か別の人生経験に時間を

費やすことができます。私たちが仕方なく英語を勉強している間に。これが、

今、私たちが甘んじて受け入れている「当たり前の不公平」なのです。

 

しかし、私たち日本人は、そしてそれ以外の非英語圏の人たちも、この不利を

未来永劫受け入れ続けていく義理などは全くありません。まして、この現状は、

もう絶対に変わることのない宇宙の真理になったわけでもありません。

地球の文明も、世界情勢も、人間の価値観も、言語のあり方も、全ては

絶えず変わり続けています。半世紀という短い期間で物事を捉えようとすれば、

世界はあまり大きくは変わらないように思われます。しかし、100年、

200年あれば、世界の状態は大きく変動します。世の無常ということこそが

絶対的な宇宙の真理です。まさに、祇園精舎の鐘の声、なのです。

 

しかし、日本人が総体として、今後一生世界は英語を中心に回っていくという

意識であったとするならば、世界が日本語に対して積極的に理解や共感を

得にくるような流れにはなっていかないでしょう。なぜなら、日本が
自らを制限し日本語の繁栄を求めるよりも英語の吸収に余念がないという状態なのですから。

現時点で国際語を目指せというのは少々先を行き過ぎているかもしれませんが、

日本に対する理解と共感を世界中で高めていくために、日本語の普及を

国家レベルおよび民間レベルで展開していくことは、外交戦略上絶対に

有効な活動のはずです。少なくとも中国は国家としてそれに取り組んでいます。

 

日本人もそこに大きな意義を見出し、それに向けて策を練り、労を費やし、

100年の計を持って我が国の人々が世界で立ち回りやすくなるような

仕掛けをするべきです。その取り組みを100年続けても、日本語は

国際語のひとつにも果たしてならないかもしれません。しかし、

その努力を重ねる中で、日本語の立ち位置はきっと変わっていくでしょう。

日本語が強い意思を持って、言語としてのさらなる成熟を目指そうとするならば。

 

日本人が海外に出ても物怖じせずにコミュニケーションが取れるよう、

せめて言葉のハンデで出遅れないようにと、すべての日本人が英語を

不自由なく喋れるような教育を施すというのは、あくまでも短期的な

現状対策でしかありません。現時点においてそれはある程度必要なことかもしれませんが、

それとは反対のベクトルにロマンを感じる日本人はどれだけいるのでしょうか。

世界中の学生達に日本語を学びたいと思わせるための全方位からの対策と活動。

これこそが、日本語発展の大きな原動力になる気がしています。

今の日本人に絶対的に欠けているのは、日本語を育てると言う

使命感と責任感、そしてその先に広がる可能性を信じる気持ちです。

 

そういう高い目標を掲げてみると、日本語は言語として確固たる自信を

持った言語でなければならないと気づくはずです。そして、創造的に

成長し続ける言語でなければならないと再認識するはずです。ファッションや

デザインにおいて格好をつけたいときには使いようのない言語であってはならないのです。

英語とごちゃまぜになった日本語などは、もはやハイブリッドな進化などと

呼べるものでは到底なく、単に他の言語、もっと言ってしまえば

「植民地語」の威に依存するしかできない移植言語でしかありません。

 

今日本人が取っている行動は、国際化という名のもとの不用意な英語の輸血による

文化の染め替えです。市場に溢れるファッションやデザインにとどまらず、

街中の広告、店の看板、企業の商号、はては公的施設の名前まで、挙げればキリが無いほど

日本人は英語を我が身に積極的に輸血しようとしているとしか思えません。

行き着くところは、サビだけ英語で歌う大衆音楽、小学校からの英語教育、本年数社の有力企業が

その方針を示した社内公用語の英語化、そして年賀状の「A happy new year」なの です。

 

日本語は先人たちの闘いによって守られた知的財産であり文明であり文化であり

国そのものなのだという認識を新たにすると、「あけましておめでとう」を大した意味もなく

わざわざ「A happy new year」と英語で書くことは、なんだか恩を仇で返していることである

かもしれないという気にさえなります。太古の時代から守り育まれてきた日本語という

母語を継承した私たち日本人は、この言語をさらに発展させていかなければならないのに、

自らその発展の可能性を摘むような不作為は意識的に避けるべきです。むしろ、私たちは、

時代の変遷と共に新たに 生まれる物や事、概念や感情を日本語としてどんどん構築し

積み上げていきながら言語の内に歴史と今を刻み込んでいくべきでしょう。

そう考えれば考えるほど、日本語の言葉や語彙は増えはすれど、他言語にすり替えられるなど、

侵略されてでもあってはならないことなのだとつくづく思うのです。

 

幕末、ペリーは沖縄と小笠原諸島とをアメリカの植民地とすることによって、

東洋における威力態勢の足場をかためようとし、のちマッカーサーが

それを実現しました。そしてマッカーサーの時代に築き上げられた日本とアメリカの

極めて不平等な関係は今でも厳然と存在しています。これは、

「異国に圧倒されない日本をつくる」と誓った日本人のアメリカとの戦いは、

まだ終わっていないということです。ペリー来航から150年経った今も、

日本はまだアメリカに隷属的関係を強いられているという現実を幕末の志士たちが

知ったら何と思うことでしょう。そんな私たちが使う「A happy new year」という言葉を

天国の彼らが見たら、「お前達は言葉まで取られたか」と愕然とするに違いありません。

私たちが安易に英語を使うとき、日本人にはこういう歴史的経緯と意地を張るべき

立ち場にいるのだということを少しは意識するべきです。英語に対してすさまじく劣勢ではありながらも、

日本語はまだ英語と力比べをする気概を持っているんだという気持ちを日本人は捨てるべきではありません。

 

龍馬をはじめとする幕末の志士たちに感謝し、その生き様に憧れ共感する気持ちが

あるのなら、彼らの日本に対する強烈な思いをその百分の一でも引き継いで、

日本が日本であるための行動を取るようにしようではありませんか。

 


 
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